Vol.020 圧倒的に伸びる「勉強の仕方」は見た目も美しい
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Vol.020 圧倒的に伸びる「勉強の仕方」は見た目も美しい



2017年09月12日投稿
2020年07月14日更新



「この子はどうも勉強の仕方がわかっていないようで・・・」

全国の学習塾には日々そのようなご相談が多く寄せられているのではないかと思います。
たしかに、そういったご相談をいただいた生徒を指導させていただくと、
「なんじゃ、こりゃー!!」
と悲鳴を上げたくなるくらいに非効率な勉強方法となっていることが多いです。
特にひどいのがノートの使い方で、「ウォーリーを探せ!」もびっくりの超過密な書き込み、どこに何の問題の解答を書いたのかが、本人を含め、誰にも発見できないようなものが出てきます。
・・かと思えば、1ページで計算4問くらいしか使わない、サウジアラビアの石油王の御子息でもやらないようなノートの贅沢使いをしている生徒もいます(こちらの方がまだマシですが)。
理科や社会の暗記法もひどいもので、ノートにひたすら重要語句を筆写している生徒などはまだましな方で、定期試験前には教科書を一回読むだけ、といった強者もいます。
さらに言うと、勉強苦手な生徒というのは概して勉強時間の配分が悪く、10点しか出題されない単元の勉強に、全体の試験勉強時間の1/3を費やしたりすること等も多々・・。

とにかく、小学生から中学生になって、定期試験というものが始まると、このような実情に頭を悩ませる保護者様が急増します。
そこで学習塾の出番となるわけです。

こうした生徒に共通しているのは、勉強の「型」がないことです。
「型」とは武道や芸事の世界の言葉ですが、敵を倒す、芸を美しく魅せるための最も合理的な手順のことです。
勉強の場合、合理的とは「なるべく少ない勉強時間で最も成績を伸ばす」ことを意味します。
武道も芸事も勉強も、初心者にとって重要なのは「型」を習得することに尽きます。
成果の出る勉強法は、まず「型」通りであり、それは必ず美しい。
なぜなら、人は合理的なものに「美しさ」を覚えるからです。
その昔、『東大生のノートは美しい』という本が売れましたが、「美しく書こうとしている」のではなく、「合理的な手順」を追求してきた結果、ノートが美しく見えるというのが実情でしょう。
東大生が教室で試験勉強をしているときなどに見せてもらいますが、東大生のノートはたしかに見るものに訴えかける何かがあります。
さらに言うと、勉強をしている姿も美しい。
月並みな表現で恐縮ですが、集中して勉強する姿から強者のオーラが放たれているのです。
これも「合理性」という理由で説明が可能ですね。

ですから、勉強の詳細を見ずとも、「美しいか美しくないか」で見れば、プロに任せる必要があるのかないのか判別は可能だと私は考えています。
冒頭で述べたような生徒に対して、必要な指導は基本の「型」を習得させること。
学習塾によって様々な流派があるようなイメージですが、本質的に目指すところは変わりません。

勉強の基本となる「型」の習得には、最低でも1年はかかります。
「教えたらすぐに出来るようになる」ものではなく、一定期間の修練の結果なので、「勉強の仕方」を教えることが解決策にならないことはご理解ください。
中学受験を経験していない場合、高校受験が「型」の習得の最良の機会となります。
最後の機会と言ってもいいかもしれません。
「型」がないまま、高等教育を乗り越えるのはまず難しいので、中学生の保護者様から見てどこか違和感のある勉強をされているなら、早急に学習塾を活用されることを強くお勧めします。


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