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Vol.050 努力と労働

Vol.050 努力と労働


2018年04月17日更新



『ノルウェイの森』という村上春樹の小説があります。
初版が1987年、単行本や文庫本を含めた累計発行部数が1000万部超という、大ベストセラー小説です。個人的には村上春樹は、1990年前後の時期が最盛期であったように感じています。
この当時に発表された氏の作品の中では、人間や社会に関する深い洞察や皮肉を個性豊かな登場人物が、秀逸なセリフで言い表してくれている場面が非常に多い。
この『ノルウェイの森』に、永沢という人物が登場します。
主人公のワタナベ君と同じ寮に住んでいる先輩なのですが、どちらかと言うと平凡な青年であるワタナベ君とは対照的な存在、東大法学部に通う万能人間として描写されています。
学歴エリートを体現したようなキャラクターで、おそろしく合理的な物事の考え方する人間です。
あるとき、この永沢君と主人公のワタナベ君がこんな会話をします。

以下、『ノルウェイの森』から引用。
永沢君のセリフからです。

「だからね、ときどき僕は世間を見まわして本当にうんざりするんだ。どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう。努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね。」
僕はあきれて永沢さんの顔を眺めた。
「僕の目から見れば世の中の人々はずいぶんあくせくと身を粉にして働いているような印象を受けるんですが、僕の見方は間違っているのでしょうか?」



この主人公の素朴な疑問に対する永沢君の返答が秀逸です。
以下、再び引用。

「あれは努力じゃなくてただの労働だ。」
と永沢さんは簡単に言った。
「俺の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というものはもっと主体的に目的的になされるものだ。



永沢君の言葉は乱暴ですが、努力の本質を上手く言い表したセリフだと思います。
この時代になっても、永沢君の言う「努力ができる人」というのは本当に少ない。
ここで一つ前の言葉につながってくるのですが、こうした「主体的な努力(=能動的な働きかけ)」がないと「やっていること」が作業になり、不平を言うくらいしかやることがなくなっていきます。
永沢君のように、すべての物事を主体的に目的的に努力できれば素晴らしいですが、なかなかそれは難しい。
ですから、極論すれば、一つの対象につき1分からで構わないと私は思っています。
そのようにして、自分の関わっていることの主導権を少しずつ自分自身の手に取り戻す。
これは姿勢の問題なので、いまの成績とは関係なく実践が可能。
東大生でもこの努力ができない人はいますし、勉強苦手な中学生でも努力できる子はいます。
ひとつはっきりと言えるのは、この努力をする人は少ないし、これができる人はそれだけで周囲の人間を一歩も二歩もリードできるということ。

いまやっている勉強や仕事が楽しいか楽しくないかというのは、突き詰めれば、この努力をしているかしていないかだけの違いにすぎません。
「やらされ感」で取り組むなら、何事も楽しくないということです。