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Vol.190 日本の大学がダメな理由

Vol.190 日本の大学がダメな理由



2021年01月26日投稿
2021年01月26日更新



先週の土曜日、1/23も次期高校受験生向け説明会でした。

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ご参加くださった保護者の皆さま、ありがとうございました。
今年の説明会はすでに述べ100名近くの方にご参加いただいており、近隣の西宮中学校にいたっては現中学校2年生の保護者様の4人に1人がご参加くださっています。
残り回数も少なくなってきましたが、最後まで気合いを入れて臨みます。

さて、本日は日本の大学のことについて書きます。
2021年1月21日、宇都宮大学が個別学力検査を中止すると突然発表しました。
これにより、通常は1次試験に該当する大学共通テストの結果のみで合否判定が行われることになります(共同教育学部のみ代替措置として提出課題を実施)。他にも、山口東京理科大学(公立)という大学が個別試験を取りやめることを発表しています。信州大学は緊急事態宣言が出された場合やその後の感染状況によって人文学部と経法学部で選抜方法を変更すると発表しました。

・・・。

少しだけ、私の学生時代のことについて書きます。
大学入学後、初めて大講義室で授業を受けたときの話です。
講義名は忘れましたが、同じ教室に上級生が多くいたので一般教養科目だったと思います。
授業開始のチャイムが鳴ったのですが定刻に教授は現れず、2分くらい経ってから、絵にかいたように覇気のない初老の男性教授が登場。何か話し始めましたが、私語をしている学生が多く、マイクを使っているにも関わらず、何を言っているのかよく聞こえません。
講義中も教室に4か所くらいある出入り口からは学生が出たり入ったり・・。後ろの方に座っている学生は大半が寝ており、きちんと授業を受けているのは真ん中のブロックの2列目くらいまでの学生だけで、ほとんどまともに講義を聞いている学生はいません。
関西では一応難関校ということになっている大学でしたが、授業の質が悪いと言えばいいのか、学生の質が悪いと言えばいいのか、本当にひどい光景でした。
そんな講義ばかりでもないということに後で気づきますが、しかし、そのような講義も相変わらず多く、次第に大学に通うことが嫌になっていきました。

あのときはわかっていませんでしたが、いまはわかることがあります。
大学教員には、大別して「研究」と「教育」の2つの役割がありますが、日本の大学教員はどちらかと言うと研究者なのです。日本の大学で幅をきかせているのは「研究」の分野で実績ある教員の方が多いように思います。そのこと自体、どうこう言うつもりはありません。
ただし、そのような大学教員の多くに決定的に欠けているのではないかと思わざるをえない視点があります。一部(多く?)の大学の学長や学部長と呼ばれるような方々も同様です。
それが「学生の立場になって物事を考える視点」です。

予備校や学習塾はもちろんそうですし、小学校中学校高校の先生方も同じですが、我々の仕事というのは、最初から最後まで生徒が主役です。
現在、全国の小学校中学校高校、塾や予備校で緊急事態宣言を理由にして休校している教場はいったいどれだけあるでしょうか。おそらくほとんどないと思います。
さて、今日はどこでクラスターが発生するか、とマスコミが鵜の目鷹の目のごとく狙っていますから、ここ数か月間、教育機関の最終意思決定者の抱える緊張は半端ではありません。誰だって自分がコロナ感染の原因は作りたくないですし、マスコミに吊るしあげられるのも嫌です。
それでも、学校や塾予備校が休校にならないのは、(生徒目線で考えたときに)生徒の学びを止めるべきではないという使命感があるからです。コロナウィルスは油断ならない相手ですが、10代以下の若者にとってはそこまで脅威でないことや、適切な対策を行うことで感染拡大をかなりの部分まで抑制できることがわかっています。
ギリギリの状況下で気持ちをつないで、現場の先生方は必死にがんばっています。

ところが宇都宮大学。
少なくとも、無言で試験に答案を書くだけの大学入試にそこまで大きな感染リスクがあるとは思えませんが、ここにきていきなり個別学力検査を中止すると発表しました。
繰り返すようですが、18歳以下を対象とした大半のその他教育機関は休校していないのです。
バトンを繋ぐ先の大学が、そんなことでいいのかと心底がっかりしました。
国公立大学入試となると、そう簡単に誰でも合格できるものではないです。
宇都宮大学に本気で入学したいと願う学生ほど、学校や塾の先生と二人三脚になって必死で作戦を考え、受験勉強を行っていたことでしょう。
ただでさえ、初の大学共通テストやコロナ禍で苦しいことが多かった今年の大学受験です。
それにも関わらず、一部の受験生の合格は突然本人の事情とは関係なく、なくなりました。
学生時代に目にしたあの残念な講義風景と今回の件が重なって仕方がありません。
いったい誰のために、なんのために大学教育は存在しているのでしょうか。
研究のためだと言うのなら、学生から学費をもらうなよと思います。
あまりにも学生の立場で物事を考える視点に欠けていると思わざるを得ない出来事です。

宇都宮大学には、今回の決定に批判的な考えを持つ教職員もいらっしゃることでしょう。
今回の決定があったからと言って、大学のすべてがダメだと言うつもりはまったくありません。
ただ、今回の意思決定に「学生視点」が欠けているのは間違いないと思います。
オンライン講義ばかりやっている大学に対しても同じ気持ちを持っていますが、自分の保身ばかり考えるのではなく、多少のリスクがあっても真に学生のためを思った意思決定ができる方に大学経営のかじ取りをお任せしたいです。
そうでないと日本の大学はどんどんなくなっていくと思います。
少子化によって、これから先の日本の大学はますます供給過剰になっていきます。
その余剰分は社会人教育に向けられるべきだというのが私の考えです。ところが、現状のままの大学では講義の質が低すぎて、忙しい社会人が高額な学費を払って通おうとはあまり思えないものになっています。対象が社会人となると、学位を与えればそれで満足、というわけにはいきません。教育機関として高品質のサービスを提供しなければなりませんが、満足度の高い授業を設計するために必要な「学生視点」が足りていないことがこの問題の背景にあります。

「学生視点」がないことは、将来の大学運営に深刻な悪影響をもたらすことになると思います。
学生の立場から考えれば、今回の宇都宮大学の意思決定はどう考えてもありえない。
全国の大学関係者の皆さまにはぜひとも限界ギリギリまで、受験生の立場を想像し、教育者としてどうあるべきかを考えて意思決定を行っていただきたいと切に願っております。


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