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Vol.205 塾長の履歴書 -考察編2-

Vol.205 塾長の履歴書 -考察編2-



2021年05月18日投稿
2021年05月18日更新



先週までに大学受験までの自分史を公開しました。
今回は「高校編」と「浪人編」の教育的考察を行います。

塾長の履歴書 -高校編-
塾長の履歴書 -浪人編-

早生まれは不利?
小学生や中学生は、できる子は勉強も運動も芸術もどれも優秀、できない子はどれも全部ぱっとせず、ということは多いものです。私は典型的な「ぱっとしない」側の生徒でした。
一つの理由として、私が3月生まれであったことも影響していたはずです。2020年に東京大学院の山口慎太郎教授が、4月生まれと3月生まれでは入学した高校の偏差値の差が4.5ポイントにもなるという衝撃的な論文を発表されています。ぱっとしないのは単純に「発達の遅れ」である可能性もあるのです。この差は学校の成績にとどまらず、将来の所得にまで影響が見られると述べられていますから問題は深刻です。
正しくは「非認知能力」というのですが、社会的に成功する人は「非認知能力」が高いということが近年の研究でわかってきています。ざっくり言えば「認知能力」はペーパーテストで測ることのできる力、「非認知能力」はそれ以外の力のことです。「自信」は「非認知能力」に該当しますが、これが低いことはパフォーマンス面のあらゆるところで悪影響が出てきます。
中学生までの私にはなくて浪人期の私にあったもの。それも「自信」です。
プロスポーツ選手にも早生まれは少ないそうですが、年齢混合のプロスポーツの世界でそうした偏りが出るというのはよく考えると不思議な話です。「自信」の積み重ねがパフォーマンスに影響を与えているのではないでしょうか。そうであるなら、周囲の関わり方次第でこの問題は改善されるものだとも思うのです。

Vol.167 やればできる子

将来の成功には「自分がどこに属していると自分で思うか」が大切なのであり、それがあるなら成績も学歴も実は関係ないという研究もあります。当時の自分に対しては、思い出すと恥ずかしくて穴があったら入りたいようなことばかりですが、「自分は慶応大学にいける」と考えたことと実際にそれを実現するための行動を起こしたことだけはほめてあげたいです。もし、子どもがそういうとんでもないことを言い出したら、基本的には大人は背中を押してあげるのが良いのではないかと私は考えます。

Vol.146 自分がどこに属していると自分で思うか

その一方、あまりにも非現実的なことばかりになってしまうのも親としては心配です。
リスクを計算し、場合によってはそれを否定しなければならない場面も出てくることでしょう。

Vol.078 子どもの夢を否定するのは良くないのか?

ただ、確実に言えることとして、一度「応援する」と決めたなら、その姿勢は守ってあげてください。

子どもが失敗すると、なぜか誇らしげにする親がいる
子どもが挑戦して失敗すると、「だから、私はそう言ったのに」とか「勉強しなかったのだから当然ね」のように、鬼の首を取ったかのような言い方をしてしまう親がいます。子どもが失敗しているのに、なぜか嬉しそうなのです。これは子どもからすると最悪の反応です。
なぜそんな反応をしてしまうかと言うと、「自分が正しい」ということが子どもの失敗によって証明されたからです。それにより「きちんと聞かないからこうなるのよ。これでこの子もわかったことでしょう。」と思われるわけですが、残念ながらそうはなりません。さらに親の言うことに従わなくなります。子ども側からすると、自分の正しさを次こそ証明してみせなければならないという、強い動機が生じることになるからです。
相手は子どもです。大人のように現実的に物事を考えることができないのは当然です。「現実的に考える」力は主に経験によって得られる能力であり、その土俵で議論する限り、子どもに勝ち目はありません。親が正しいのは当たり前なのです。それを、子ども相手に「ほら見なさい、私の言ったとおり!」と勝ち誇ったところで、そこに何の価値があるのでしょうか。「試合に勝って、勝負に負ける」とは、まさにこのことです。

Vol.179 素直になれない関係

絶対的な味方がいるから安心して挑戦できる
しかし、反発してくれている間はまだ良いのです。本人にそれだけの活力があるのですから。
問題は、本人が失敗を繰り返す中で、親の本人を否定する言葉がボディブローのように効いてきて、子どもが「自分は本当にダメだ」と考えるようになったときです。
私の場合、こうはなりませんでした。
それは高校から先、親の私に対する関わり方が変化したからです。世間一般的な価値基準からみれば破天荒な高校生になってしまいましたが、親が「こうあるべき」という価値基準を私に強制することはなくなりました。「勉強しなさい」も言わなくなりました。極論、元気に生きているからそれでいいと思っていたのではないでしょうか。
「存在承認」と言いますが、「成績が良かろうが悪かろうが、世間があなたを評価しようがしなかろうが、絶対的にあなたの味方である」というスタンスで関わってくれる人間が一人いるだけで、子どもの精神は安定し、そういう安心感の中でこそ、本人の挑戦意欲も出てきます。
高校から先は、未熟ながらも自分の頭で「何が正しくて、何が正しくないか」を考え、「自分はどうしたいのか」を考え、それに基づいた行動を自己決定するようになりました。そのとき、本人の中で「判断材料」となりえるものが何であるかが、その先の「答え」が何になるかの鍵となります。

Vol.177 下手の考え休むに似たり

「何が正しくて、何が正しくないのか」ということに関して自分なりに答えが見つかりつつあったものの、肝心の「自分はどうしたいのか」について自分の中ではっきりとした「答え」はなく、モヤモヤしたまま時間だけ過ぎていたのが高校3年生時でした。
そのとき、大学受験のことに詳しい友人が偶然にも身近にいたことはまさに幸運でした。「友情・勝利・努力」の週刊少年ジャンプ世代の私ですから(笑)、友人の発言は最も影響力があります。彼は頭の回転が早く、抜群に話がおもしろかったため、校内でも異質の存在でした。休憩時間にはいつもその友人を取り囲む輪が出来ており、トークショーのようになっていたほどです。そうした彼を私は尊敬していたのです。方向性が定まらない私に、巧みな話術で、私立大学であればどんな難関大学でも独学で攻略可能であることや大学進学することの価値、大学に行かないとすればどうするのかといった現実的な話、など色々な話をしてくれました。
塾の仕事をするにいたる教育的な意味での「原点」はこのときの体験です。そのときに彼が私にしてくれたのと、同じことを教師として出来ればいいと考えています。彼が私にしてくれたことは教師としての生徒に対する理想の関わり方そのものです。

Vol.054 生徒の心に火をつける

3か月で英語偏差値が30伸びた理由
実質的には3か月の勉強で英語偏差値が30程度伸びたわけですが、この間、なにをしたのか。
急激に成績が伸びたのには、主に3つの原因があると自分では考えています。
第1の理由は「ゼロからのスタート」であった点です。余計な知識もプライドも何もなかったので、友人の教えを全面的に信頼し、教えられたことだけを愚直にこなしました。「素直さ」は成長スピードの早い生徒に共通してみられる傾向です。
第2の理由は「徹底」です。あれもこれもと手出しをすることなく、友人に指定された問題集を全ページ暗唱できるのではないかと思えるレベルまでやりました。使用に耐えるレベルでなくなったため2冊目を購入したほどです。『英語頻出問題総演習(即戦ゼミ3)』という本です。現在は『NextStage(ネクステージ)』など、別の選択肢も豊富にあるため、あまり使われない教材なのですが、当時の私大受験生のバイブル的な一冊とされていた本です。良書を反復学習するのは、学習の初期段階の生徒にとっては鉄則ともいえるくらいに重要です。
第3の理由は「読解力」です。これは勉強を開始してから気づいたことなのですが、私はどうも「読解」がもともと得意なようで、ある程度英単語を覚えると長文読解問題で間違えることがほとんどなくなりました。現代文も同じです。
ここで正直に告白しておく必要があると思いますが、「自分にできたのだからキミも同じようにできる」的な話をするつもりはまったくありません。「読解問題を間違えない(現代文も英語長文も)」という特徴は私の「強み」だからです。そういう「強み」をたまたま自分が持っていたから、ここまで都合良く偏差値が伸びたのであって、誰もが同じようにすべきとは思っていないです。
なぜ、わざわざこうしたことを書くのかというと、成功体験を語る人はこうした都合の良い話を隠していることが多いからです。ですから私は「偏差値〇〇から奇跡の難関大学合格。あなたもできる!」みたいな本人主役の成功体験ビジネスは基本的に信用していません。それはその人だからできたのです。受験はもっと現実的に考えるべきものですし、ドラマチックな逆転劇などそう簡単に再現できるものではないと考えています。
ただし、ただし・・です。私が「読解力」という自らの「強み」を18歳になるまで知らなかったということだけは、声を大にして伝えておきたい点です。大学受験しない人生を選んだら、一生気づかないままだった可能性だってあったのです。
「人間は誰にでも読解力があるし、伸ばせる」とは現時点の私には言えませんが、その生徒なりの武器は必ずあると信じています。「合格」という目指すゴールは同じでも、勝ち方はその生徒なりの勝ち方で良いのです。それを発見してあげることこそ、教師の重要な役割であり、個人的な成功体験を完全模倣させることは不可能です。

Vol.164 失敗させない教育

林先生が教える「(歴史から学ぶ)負ける人間、3つの共通点」
かなり前になりますが、東進の林修先生がある番組の授業で「負ける人間の3条件」というお話をされていました。その負ける3条件とは「情報不足」、「慢心」、「思い込み」です。さすが大学受験指導のプロ、私の慶応大学不合格の原因はこの3条件ですべて説明できます。

「情報不足」
大学受験は前人未到のプロジェクトではありません。毎年何十万人もの受験生が挑戦する、ごくありふれた挑戦です。つまり、情報はいくらでも事前入手できるわけです。お勧めはやはり経験者や専門家の助けを借りることです。経験者は「勘所」がわかっていますから、最低限押さえておくべきところは外しません。「慢心」にも通ずる部分かとは思いますが、私は出願から何から何まで予備校には一切の相談をしませんでした。情報不足であった点を挙げるときりがありません。例えば、受験前日は日吉キャンパス最寄りのホテルに宿泊すべきでした。直前に予約も取れないでしょうから、どのくらい前から予約しておく必要があるのか、お勧めはどこのホテルかなど、予備校であれば情報は持っていたはずです(当時、インターネットはない)。慶応大学以外の過去問をほぼしていなかったことについては、愚かすぎて弁解の余地もありません。過去問情報を知っておくことは受験生としての一丁目一番地、最重要情報です。受験校すべての過去問を入念にやりこんでおく必要があります。

Vol.090 Ifへの備え

「慢心」
自分の成績のどこをみて、慶応以外の大学には合格できると判断していたのか、当時の自分に問いただしたいです。慶応入試日当日も楽観的かつ大胆に入試に臨めるくらいの度胸があるなら良かったのでしょうが、実際に「後がない」状況に陥ると、そこまでの度胸もないわけです。
この失敗のパターンをこのときに学習すれば良かったのですが、実は、後の就職活動でもまったく同じ失敗をやらかします。幸か不幸か、大学受験では後期試験で逆転合格したため、このタイミングで学習しなかったのです。自分に「慢心」しやすい傾向があることは、社会人になってからの人生では教訓として生きています。ただ、慎重になりすぎているように思うこともあり、当時の自分の無鉄砲さをうらやましく思うこともあります。そのため、若いときは、「慢心」しているくらいでちょうど良いのかなとも思ったり・・。責任ある立場になると、「結果」の先に誰かがおり、「負ける」ことや「失敗」があまり許されなくなりますので。
少し話が脇道にそれましたが、「慢心」が「失敗」の原因である点に関しては間違いありません。

「思い込み」
人間は自分の都合の良いように物事をとらえる生き物なのだと思います。「事実」をありのままに見ることができる人はとても少ないです。思考や判断に特定の偏りをもたらす思い込み要因を「バイアス」と言いますが、これが邪魔をします。「色めがねで見る」と言ったりもしますね。
楽観的な人には「楽観バイアス」が、悲観的な人には「悲観バイアス」がかかります。
「自分がそう思いたい」という結論ありきで、「事実」や「数字」をねじ曲げて解釈するため、まったく同じ成績の2人の結論が真逆になったりします。楽観的な人は「大丈夫!」という結論になり、悲観的な人は「やっぱり無理かも・・」となるわけです。性差の傾向別にみると、男子は前者、女子は後者が多いように思います。受験までの期間が長いと女子型の色眼鏡の方が有利、直前期には男子型の色眼鏡の方が有利です。こうした傾向の差は中学時の「内申点」というかたちで、数値にも表れていますね。内申点は、全体的に女子の方が高く出る傾向にあります。

Vol.137 この時期、女子が男子に抜かされてしまう理由

私自身のことに話を戻すと、楽観性/悲観性のような心理的な傾向面に限らず、様々なところで自分に都合よく物事を解釈し、受験勉強していたことがわかります。「古典は苦手」なども典型で、苦手どころか、「読解力」という自分の武器が生きるため、いま思えば得意科目にできた可能性が非常に高い。古典をきちんと学習しておけば、早稲田など受験校の選択肢の幅も大きく広がっていたわけです。
「思い込み」の呪縛から完全に自由になることは難しいです。そのため、何をするにおいても「他人の目」があることはやはり有用です。対話を通じて、楽観悲観の偏りを是正してもらったり、おかしな因果関係を指摘してもらえたりします。余談になりますが、就活生の指導をしている際に他人の指摘をきちんと聴くことの重要性をよく話すのですが、そのときに「相手のレベルが自分と同じなら、まず相手の指摘の方が正しい」と言っています。「こうしたい、こう思いたい」という意志がない他人の視点の方が、冷静に「事実」を認識できるためです。
親が子どもを指導しようとしてもあまり上手くいかないのにはここにも原因があります。想いが強い人ほど、「こうあってもらいたい」という濃厚な色眼鏡で子どもをみてしまうため、実態とかけ離れたことを相手に要求してしまうのです。想いの力によるバイアスというのは恐ろしいもので、他人から見れば明らかなことを、ものすごく優秀な方が見えていなかったりします。これは親が子どもを潰してしまう主要因なので、そうならないように誰もが気をつけたいところです。プラスジムでは特に受験期、子どもと適度に距離を取っていただくことを推奨しています。

Vol.022 「やればできる」を言うと子どもがダメになる

以上、「考察編2」でした。
大学入学以降、私の人生はさらに混沌としていくのですが、履歴書シリーズはいったんここで完結したいと思います。
続きを書くとすると「大学編」、「ニート編」となります。
長々とした自分語りにお付き合いいただき、ありがとうございました!


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