Vol.220 偏差値の是非

Vol.220 偏差値の是非



2021年08月31日投稿
2021年08月31日更新



学力偏差値は1950年代に、東京都の中学教員であった桑田昭三氏によって開発されました。
桑田氏は、それまで感覚的になされていた進路指導をより論理的で説得力のあるものにしたいという想いから、この手法を編み出されたわけですが、まさかそこから何十年もの間、このようなかたちで日本の教育に大きな影響を与えることになるとは思われなかったことでしょう。
一般に広まったのは1970年代前半ですから、もうそれから50年近くになるわけです。親世代から使ってきた数字であるため、もはや日本人にとっては当たり前の存在になっています。
ちなみに、学力偏差値を使っている国は日本だけです。
グローバル基準の教育指標でないため、日本の教育が否定されるときにセットになって悪者にされることの多い存在でもあります。1990年頃から経済成長も止まり、決して豊かな国とは言えなくなってきた現代の日本。その停滞の象徴のようにして、偏差値が糾弾されることもあります。
「偏差値を伸ばすことを目的とした詰め込み教育はこれからの時代は通用しない」
「偏差値で、大学(学校)を序列化してしまうことが問題だ」
「偏差値で、人間の価値に優劣をつけるようなものではない」
否定派の方から、よく聞かれるのは、こうした言葉でしょうか。
それぞれの意見の先には、
「これからは詰め込みではなく、創造性が大事だ」
「偏差値で良いと言われる大学(学校)を選ぶのではなく、自分の学びたいことを学ばせるべきだ」
「ペーパーテスト以外に、色々な評価があっても良い」
こうした言葉が続きます。
そうしたご意見が間違っているとは思いません。
しかし、それでも私は生徒の偏差値を伸ばすことにこだわり続けています。
偏差値を伸ばす教育は、こうした方々の意見を別に否定するようなものではないからです。
一つ一つ、見ていきます。

1:「これからは詰め込みではなく、創造性が大事だ」という意見に対して
創造は既存の知識のかけ合わせから生まれます。つまり、前提となる知識や教養のないところに創造はありません。1940年に原著刊行され、いまだに売れ続けている『アイデアのつくり方』という名著がありますが、そこには「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と書かれています。なにもないゼロから新しいものを生み出せる人がいるとすれば(いませんが)、それは天才であり、天才は教育によって生み出すことはできません。

2:「偏差値で良いと言われる大学(学校)を選ぶのではなく、自分の学びたいことを学ばせるべきだ」という意見に対して
大学に関しては、その通りだと思います。そのため、「全生徒の偏差値を伸ばす」ということにこだわっての指導は行っていません。自分が学びたいことがある大学に入学するために偏差値を伸ばす必要がある場合に限って偏差値を伸ばすための授業をします。
高校に関しては、生徒たちが目指すことになる大半の高校は普通科であり、学ぶ内容による「違い」はそこまで大きくないという現状があります。どこに進学しても同じ、とまでは言いませんが、これだけ同質化してしまっている選択肢の中から、あえて「違い」を探し出すことにそこまで大きな意味はないと私は考えており、本人がその環境に「納得」できればそれで良いと言っています。
私にとって偏差値は「偏差値が高くていいと思われている学校」に生徒を合格させるための手段ではなく、生徒を成長させるための手段です。以下は3年以上前の記事ですが、3年前どころか教育の仕事に就いたときからこの「想い」はまったくぶれていません。

「進学するのに良い高校かどうか」で受験校を選ぶのは限界がある

何度言われても、高校の「合格実績」を開示しないのはここに理由があります。
塾として偏差値の高い学校に入学することがいかにも良いことであるかのようなメッセージは出したくないのです。努力して手にした合格なのであれば、その合格には等しく価値があります。

3:「ペーパーテスト以外に、色々な評価があっても良い」という意見に対して
その通りだと思います。価値観がひろがり、自分の成長の物差しを発見できた生徒は模試の偏差値ばかりを伸ばす必要はありません。大学では「総合型選抜入試(AO入試)」のようにペーパーテストではない観点で入学者を評価する入試が増えてきています。合格難易度の高い(偏差値の高い)大学の学生であることは、本人の「強み」の一側面にすぎず、それがすべてでは決してないです。それにも関わらず、就職選考において学校歴差別の意識が根強く残っているため、親や子どもたちが困惑しているのです。変わらなければならないのは、日本を代表する企業の採用担当者の意識であって、学力偏差値を用いている塾予備校業界ではないでしょう。

特に、2と3に関してですが、偏差値を指標に使うときはそれを扱う側の意識がとても大切であると考えています。「良い学校=偏差値の高い学校」のような動機付けを生徒に対して行い、勝ち組負け組に分けるような指導をしていては、生徒に歪んだ価値観を与えてしまいかねません。
そのあたりの教育的配慮を行いつつ、活用する分にはとても有益な尺度だと考えています。


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