Vol.242 もぐら叩き
2022年02月01日更新
「木を見て森を見ず」という言葉があります。
成績の伸びない働きかけというのはまさにこれです。
例えば、ある定期試験において英語の点数が低かったとします。次の定期試験では、英語を必死に勉強しなさいと発破をかけたとします。
この結果、次の定期試験結果はどのようになるでしょうか?
・・・
なんと数学の点数が下がります(笑)
状況としては、「もぐら叩き」ゲームに似ています。
遊技台に空いたいくつかの穴から出入りするもぐらをハンマーで叩いて得点を競うアレですね。
こちらのもぐらを叩いたら、別のもぐらが顔を出す、といった具合で永遠にもぐらは消えません。
どんな問題解決も「部分」の症状だけを追うと、大抵はこのようになります。
こうなってしまうのには理由があります。
「部分(木)」は具体的でわかりやすいのに対し、「全体(森)」は抽象的でわかりにくいからです。
英語の点数が31点とか、理科の通知表が2だった、のような「木(部分)」は、本人も誰かに言われずともよくわかっていますし、あらためて指摘する必要もないことです。
しかし、わかりやすいため、感情的に反応しやすいのです。
それに対して、「森を見る」とは例えば、「英語の点数は今回までに68点→71点→74点→31点となっており、上昇傾向にあった点数が今回突然下がった」とか、「理科は2だが、合計内申点は29→31となっておりむしろ伸びている」といった具合に物事を見るということです。
このように時系列に並べてみたり、他の科目と比較をしてみたりするだけで、有益な示唆を得られる場合もありますが、個人単位では「森を見る」にも限界はあります。
もっとも有効なのは、他の生徒の成績推移の情報や、受験期全体の学習カリキュラムを知っているかどうかといったようなことなのですが、個人では入手しにくい情報です。
逆にいえば、この視点を持っていることが、指導者側の最大の「強み」であるということです。
ちなみに学習塾の価値というのは、究極的にはこの一点にあると私は考えています。
他のことはともかく、この視点だけは個人の力ではどうにもならないからです。
ただ、その視点を持っていることと、それを上手く活用できていることは違います。
「全体像(森)」から考えてはじめて、物事に優先順位をつけることができます。
そして、その優先順位にしたがって指導を行うからこそ、「もぐら叩き」にならない成績上昇のストーリーを描くことができるのですが、それをきちんと実行できる指導者(あるいは学習塾)というのは多く見積もっても2割程度ではないでしょうか。
なぜなら、生徒がすぐに「部分(木)」を追いかけるから。
強いリーダーシップで生徒を導ける指導者でなければ、永遠に「もぐら叩き」は終わりません。