Vol.246 挑戦する勇気
2022年03月01日更新
今日は、ある生徒のことについて書きたいと思います。
2017年3月2日の都立高校合格発表日を私は今でもはっきりと覚えています。
その日のことは塾長ブログにも書き記しています。
さかのぼること、そこからさらに1年前。
中学受験に失敗し、中学ではバスケ部の部長として臨んだ大切な試合でも敗退・・
「都立受験コース1期生」として、彼の受験勉強が始まりました。
夏時点での志望校は調布北高校。
5月模試偏差値は5科51。夏期講習を経て、5科58まで偏差値は伸びていましたが、それでもチャレンジといっていいレベルの志望校でした。
高校受験生が夏以降、偏差値を伸ばすのはかなり難しいこと。
理由は簡単。誰もが頑張る時期、相対的な成績指標である偏差値は伸びなくなるのです。
そのことを知っている私は、「夏に+7伸ばしたことは立派だけれども、正直、まだ足りないな。内申点が高くないから、あと偏差値+2は欲しい。厳しいけど努力家の彼なら今からでもそのくらいは伸びる可能性はあるかもしれない。」
心の中でそんなことを思っていました。
ところが9月に入って、彼が驚くべきことを言い出しました。
自校作成校を除けば、この地域の最難関都立校である駒場高校に挑戦したいと言うのです。
本気でした。
厳しい戦いになることを伝えた上で、高い目標に向けた挑戦が始まりました。
都立高校受験経験者でないとわかりにくい点ですが、彼の換算内申は48。駒場高校合格は絶望的とも言える内申点でした。当日の入試で、全教科で満点に近い点数を取らなくてはなりません。
受験期間中、周囲に「絶対ムリ」と言われ続けるだろうなということは容易に想像がつきました。
案の上、学校の先生や周囲の友達から色々なことを言われたようです。
そのことで心が折れてしまわないように、彼の合格を信じ続け、私自身は常に前向きな声かけや情報提供だけをするように心がけました。
あまり見ない現象が起きました。
9月以降も、偏差値がじわじわと伸び続けたのです。
8月模試に何らかの理由で失敗して、後から伸びるパターンはあります。
彼の伸びはそれとは明らかに違うものでした。
まわりの受験生を圧倒する努力を続け、本物の実力を身につけていったのです。
12月には、彼の偏差値はなんと5科65にまで伸びていました。
合格判定はB。
厳しいながらも、勝負する価値は充分にある判定です。
そして、受験当日。
大半の科目は上手くいき、私の記憶がたしかなら理科で失敗したはずです。
すでに述べてきたように内申点が絶望的でしたから、1科目でも失敗すれば合格は望み薄。
結果は冒頭のブログにあるように不合格でした。
私と話し始めた瞬間、彼の大きな瞳から涙がぽろぽろと流れ落ちました。
誰よりも努力してきたことは痛いほどによくわかる・・
夏期講習を終えてから偏差値を7も伸ばす生徒など、まずいないのですから。
それがどれだけ困難な道のりであったか、たくさんの受験生をみてきた私にはわかります。
先日、「第6期都立受験コース」の修了式がありました。
いま、彼は都立受験コースの講師として、最前線で高校受験生の指導にあたっています。
2年前、大学受験で見事にリベンジを果たし、この塾に講師として帰ってきてくれていたのです。
高校受験生に贈る最後のスピーチで、彼は以下のように話していました。
「いまになってわかること。
それは勇気を出して駒場高校に挑戦して良かった、ということです。
あのときの悲しみも悔しみも、(大学受験を)頑張ろうという気持ちも、高校受験がなければ決して思うことはできませんでした。
他の先生方は、がんばったねと言ってくれていると思います。
そう思う気持ちはもちろん僕にもありますが、最後にあえて厳しいことを言います。
受験は甘くないです。
難関校に合格するような子は毎日必死に勉強してきているし、真剣勝負なんです。
だから3月1日の合格発表のとき、ここにいる全員が合格なんて甘い話はないとぼくは思います。
でも、心配しないでください。
不合格というのはそこに挑戦した自分がいた証なんです。
よくなかった結果も、きちんと受け止めて、未来に繋げば、必ず明るい未来が待っています。
何度でも、何度でも、起ちあがって挑戦し続ける。そんな強さをみんなには持てるようになって欲しいです。」
この塾に通ってくれていた受験生も、そうでない受験生も。
不合格に涙したすべての受験生に言いたいこと。
悔しい不合格というのは、挑戦し、苦労しなければ決して得られないものです。
ここで書いた彼のように、その経験もいつかきっと自分の宝物になります。
挑戦する勇気を、それができた自分を、これから先も変わらず大切にしてあげてください。