Vol.270 幸せの基準
2022年08月16日更新
8月13日(土)、教室はお休みだったのですが、高校1年生向けの特別勉強会を行いました。
午前中は私が直接、高校1年生向けに特別授業をしました。
非常にめずらしいことです。
高校受験組にとって、高校1年生というのは、とても難しい学年だと感じています。
中高一貫校に通う生徒であれば、そろそろ本腰を入れての勉強が始まったりもする時期なのですが、高校受験に全力投球した生徒からすると、高校1年生というのは気分の解放期。
勉強する目的や意義を見失いやすい時期です。
中学生であれば、そんな様子を見るに見かねたご両親が通信教材を申し込んでくれたり、塾に問合せをしたりしてくれたりもしますが、高校生の場合は本人まかせとなっていることが大半ですから(それで良いと思います)、自分で何とかするしか仕方ありません。
結果的に、その後の人生に大きな差がつく1年間だとも感じています。
どんな講義をするか迷ったのですが、人生の「充実度年表」を書いてもらうことにしました。
大学3年生の就職活動期などにはお馴染みのワークなのですが、自分の人生を振り返って、どの時期が充実していたかを振り返り、その理由などについて考察していくものです。
人生のグラフが上向きになるときには何が起きていて、また逆にそれが下を向いてしまうときには何が起きているのか。前者が自分の「勝ちパターン」で、後者が自分の「負けパターン」なわけですが、そうしたことについても考えてもらいました。
ここで今一度、自分の人生について振り返り、どんな高校生活を過ごし、その先にどんな人生を過ごしたいのかを真剣に考えてもらいたいと思ったからです。
大学生に就活指導を行う際などにも同じワークを行うことがありますが、大学生と比べると、まだまだ人生経験に乏しく、言語化能力も高くはないため、考察がどうしても甘くなりがちです。
午後は、先生たちと協力をして生徒たちの漠然とした考えを言語化するお手伝いをしました。
社会には様々な「物差し」があります。
例えば、合格基準偏差値の高い学校が良い学校、といったようなものです。
こうした「物差し」は人間社会が勝手に作り上げた「虚構」に過ぎないわけで、人間の幸せを決める絶対的な「物差し」ではありません。自分が何に価値を認め、それを手にすることを幸せだと感じるかは人それぞれであり、究極的には「幸せの基準」は自分の中にしか存在しません。
ただ、世の中に存在する「物差し」を完全無視して生きることもまた難しいです。
主に「社会的信用」的な側面から、自分の人生に密接にかかわってくるものだからです。
自分は気にしなくても、将来の自分のパートナーはそれを気にするかもしれない。
それを気にしないパートナーを選んでも、その親は気にするかもしれない。
社会で生きていく以上、そうした一般的な「物差し」から完全に自由になるのは通常難しいと考えます。
ただ、それが「絶対」でないことだけは知っておいて欲しい。
たくさん迷ったり、悩んだりしながら、自分なりの「幸せの基準」を見つけ出してもらいたいなと願いつつ、私からの特別授業とさせてもらいました。