Vol.295 あきらめたらそこで試合終了
2023年02月07日更新
映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観てきました。
過去に記事(「Vol.141 いよいよ決戦」)にしたこともありますが、『SLAM DUNK』は連載をリアルタイムで読んでいた世代ですし、いまも家に全巻おいてあります。
不朽の名作だと思っています。
映画も感動しました。音楽がとてもカッコ良かったですね。
ここであらためて述べるまでもないかと思いますが、バスケットボールで全国制覇を目指す高校生の物語です。そして、おそらく作中で最も有名なのが冒頭のセリフ。
このセリフは私の記憶に強烈に焼き付いており、なにかあるとすぐに脳内再生されます。
長い人生の中で、自分を支えてくれた言葉の一つです。
そんな、あきらめの悪い男からすると、どうしてみんなこんなにすぐにあきらめてしまうんだろう?と思う場面が多々あります。特にこの時期、生徒はもちろんのこと、スタッフや保護者様に対してもそう思うことはあり、そのときには私が動くことになります。
よくあるのは、「今日は塾を休ませます」というご家庭からの連絡。
学校では推薦組の合格が決まってまわりは浮かれている、そんな中、自分は勉強ばかり。
合格するのかしないのかわからない不安で寝不足だし、まわりも何となく殺気立ってる。
そんな中、家でゆっくりしたいという気持ちはわからないでもないです。
しかし、それで本当に受験を終えた日に「やり切った!後悔のない受験だ」と言い切れるのでしょうか。受験直前期ですから、講師たちは1回1回の授業をとても大切にしていますし、残された時間で何を伝えることがその子にとってのベストなのかを本当に真剣に考えています。メンタルが崩れているのであれば、最大限のフォローを行うつもりで、生徒が教室に来るのを待っています。
体調不良でのお休みなら仕方ありませんが、そうでないなら、生徒は約束通りに塾に来るために全力を尽くすべきですし、まわりの大人もそう簡単に生徒を休ませてはならないと思います。
たしかに、あきらめることが大切な場面も人生にはあります。
それはわかりますが、それは「あきらめることを決断する」類のものであって、気持ちが折れて、なし崩し的にあるべき状態を放棄することや目標を下げることではないでしょう。
みんな同じようなところであきらめます。
苦しい場面は誰もが同じなのです。
資本主義社会とは勝者総取りの厳しい世界。
綺麗事をどれだけ並べたところでその本質は変わりません。
努力量で言えば、8か9の差が、結果では数倍以上に開いてしまうような不条理ばかりです。
だから、大切な場面では他の人より「あと1歩2歩」がんばれる大人になって欲しい。
安西先生ではありませんが、いつもそう思っています。