Vol.271 感動させようとしている
2022年08月23日更新
まだ私が現場にいて、日々生徒対応をしていた頃のお話です。
受験直前期、様々な業務を終え、最後の通塾日を迎えるだけとなったある日の深夜。
最後に自分にできることとして、一人ひとりに手紙を書くことにしました。
受験当日、会場でその手紙を読んでもらうことで、少しでも元気づけたい。
そんな風に思ったからです。
「今から書き始めたら、朝になるなぁ・・」そのようなことを思いながら、この1年間、その生徒と自分との間に起きたエピソードなどを思い出しつつ、30人近くいる生徒全員に手紙を書きました。
生徒一人ひとりに手紙を持たせ、試験を終えて帰ってきた生徒たちからは「ありがとう」、「この1年間を思い出して、気合いが入った」など、ありがたい言葉をもらいました。
その後、受験が終わり、保護者様全員にご報告のお電話をしていたときのこと。
ある保護者様から、自分の耳を疑うようなお言葉を頂戴することになりました。
「先生は、うちの息子を
と言われたのです。
もちろん、肯定的な意味ではなく、否定的な意味で、です。
手紙を書くとか、そんなことはどうでもいいから、そんな暇があるなら受験で1点でも多く点数を獲るためのテクニックでも教えてやって欲しい、そんな感じのことを言われました。
そのとき、たまたま親子でもめており、虫のいどころが悪かったのだとも思います。
私も「自分なりに生徒のためを思ってやったことなのに、なぜそんなことを言われなければならないのか」と、最初は憤っていました。その後は気恥ずかしさのようなものがこみあげてきて、何やら自分が塾講師として、ずいぶんと間違ったことをしてきたのではないかといったような気持ちにもなりました。
しかし、自分のやっていることをよくよく思い出してみると、たしかに
では、なんのために?
長くこの仕事をしてきて、「そうした方がいい」と感覚的には理解をしていても、なぜそうした方がいいのかについては、真剣に考えたことはありませんでした。
そこで、ようやくこの仕事の本質に気付きました。
自分がやってきたことは、生徒の心に火をつけることなんだと。
どれだけ勉強のテクニックを教えたところで、そのテクニックを生かすも殺すもすべては生徒の心次第であり、「そうしたい」と願う心がなければ、生徒からは何も生まれません。
「そうしたい」と願う心を育てるために何ができるかを無意識に考えていた結果として、生徒を「感動」させるような行動を自然にやっている自分がいたのです。
「最高の教師は生徒の心に火をつける」という格言があります。
「感動」が生徒の心に火をつけます。
だからこそ、いま私は、この塾は、たしかに生徒を