Vol.022 「やればできる」を言うと子どもがダメになる
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Vol.022 「やればできる」を言うと子どもがダメになる



2017年09月26日投稿
2020年07月14日更新



成績が伸びない子に共通しているのは、勉強の力を信じていないことです。

大ヒット映画『ビリギャル』に、以下のようなシーンがあります。
(とても良い映画ですので、まだご覧になられてない方はぜひ)
ビリギャルさやかちゃんが通う青藍義塾に、さやかちゃんのライバル役の金髪男子高校生がお母さんに無理やり引っ張られてやってきます。
塾長の坪田先生と、その親子の3者面談でのこと。
横でふてくされながら、ゲームをしている男子高校生、どう見てもかなりの問題児です。
面談でお母さんはこのように言います。

「この子は、やればできる子なんです!!!」

それに対し、心理学に詳しい坪田先生が、小声でこっそりお母さんに以下のように伝えます。

「やればできると言うのもよくないんですよ、お母さん。なぜなら、やってもできなかったら、自分の無能を証明してしまうことになりますから。

「志望校合格」のような「成果」について「やればできる」が良くないのは、本当にその通り。
成果に対する「やればできる」式思考は、それができなかったときにどこに原因を求めるかというと、「本当はやっていなかったからだ」あるいは「勉強の仕方が悪かったからだ」となります。
「成果=量×質」なので当然です。
しかし、どの程度の学習時間をもって「やった」とするのかは、生徒それぞれです。「不合格」という事実から見れば、仮に一日10時間勉強しても「やっていない」ことになるかもしれません。
「勉強の仕方」についても同様です。質はどこまでも改善の余地がありますから、何をもって効率的な勉強ができていた、とするのかは難しいです。「不合格」という事実からだと、どんなに効率の良い学習の仕方をしていたとしても、やり方が悪かったと結論づけられてしまいます。
そのため、「やればできる」式思考の保護者様とお話させていただくと、

「勉強をしていない(しているふりをする)」から、徹底的に塾の宿題で管理してもらいたい
か、
「勉強の仕方」が悪いから、(東大生がきっと知っている)効率的な勉強法を教えてもらいたい

というご要望になるので、すぐにわかります。
どちらも大きな間違いです。
平均的な基準と比較して「充分な学習時間」があって、「それなりの質で」きちんと勉強をしていたのに、成果が出なかったのかもしれない、という発想はない。
なぜなら・・・
うちの子は「やればできる」から。

こうした保護者様の考え方には、生徒本人も学習塾もはっきり言ってお手上げです。
このように育てられている子どもには共通項があって、無気力で目に力がありません。
先生や親の指示には表面的には従いますが、見えていないところで真剣に勉強に取り組んでいないのは明らかです。宿題のごまかしや遅刻も非常に多いです。
なぜ、そうなるかというと、「やってもできない」と本人は思っているからです。
「量」も「質」も本人なりにはちゃんとやってきた。それでも、成果が出なかったのは自分に能力が足りないせいだ、坪田先生流にいえば「自分の無能を証明」されてきた状態なのです。
この段階に至ると、相当熟練の先生でなければ成績向上させることはできません。
勉強の力を信じていないからです。
勉強は「質」と「量」にアプローチするしかないのですが、このような生徒は、「量」についてはごまかしが日常茶飯事となっており、「質」については執拗に「自分のやり方」を曲げようとしません。
困ったことに強権的な親に育てられていることが多く、目立った反抗をしないことも特徴です。

親の愛情が、子どもを「できない子」にしてしまう悲しいケースだと思っています。
そうならないためには、子どもを信じる力の矛先を少しだけ変えてあげると良いです。
「成果」ではなくて、「成長」を信じて待ってあげる。
「成果」はあくまでも目標であって、未達成になっても結果を責めるためのものではありません。
目標を掲げたことで「成長」したかどうか、「変化」があったかどうか、それが一番大事。

勉強することは、自分を成長させることと同じです。
自分が成長できると信じる能力を「グロースマインドセット」と言います。
人生の成功と関連が高い指標として、『GRIT(やり抜く力)』と並び、海外の教育研究者間で、近年特に注目されている能力の一つです。

強くしなやかな「グロースマインドセット」を育むこと。
「小さな変化」を意図的に積み重ねて承認し、勉強の持つ力への信頼を回復してあげることが、私たちの大切なお仕事です。


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