Vol.092 受験の重要性を子どもが理解できない理由
2020年07月14日更新
「高校受験が人生の大切な岐路であることをわかってもらうにはどうすればいいですか?」
先日の保護者向け説明会でこのようなご質問をいただきました。
簡単なことです。
「高校受験はあなたが今まで生きてきた人生の中で一番大切なイベントなのよ。だから、後悔のないように一生懸命にやりなさい。」と言ってあげれば良いだけです。
小学生レベルの国語力があれば理解できます。
これで回答終了・・・
ではありませんよね?
本当に質問されたかったことは、以下のようなことだと思います。
「高校受験が人生の大切な岐路であるという私の話に納得してもらうにはどうすればいいですか?」
理解ではなくて心からの納得、これこそ保護者様が子どもに求めていらっしゃることです。
しかし、これは解決困難なご相談ですと回答せざるを得ません。
私は「心で理解する」と表現していますが、「頭で理解する」と「心で理解する」のは理解レベルとしてはまったくの別物であり、これらをしっかりと分けて考えることがとても重要です。
「心で理解する」ためには、前提となる材料が必要です。
その材料とは「体験」です。
人は五感を通して得た自らの「体験」によってしか、言葉の意味を「心で理解する」ことは出来ません。
受験という「体験」をしたことのない子どもに、どれだけその重要性を言葉で説明しても心から納得することは出来ないのです。
このような理由から、重要性を理解させて勉強をがんばらせようという試みの大半は徒労に終わることになります。
頭では理解しているので、「わかった、わかった」と面倒に思われるのが関の山。
子どもの立場に立ってみれば、そうですよね。
わかっているけどできないことを何度も強要されるほど嫌なことはありません。
こんなことを繰り返すばかりでは、親の話を聞きたいという気持ちも次第に萎えてくることでしょう。
ちなみに、受験の重要性を心で理解する日はいつでしょうか?
試験を終えた日?合格発表の日?
それがいつになるかはわかりません。
ただし、確実に言えることが一つ。
自分が受験のために信じられないくらいに勉強をすれば、その重要性に気づける日は確実に早まることでしょう。
そうなのです。
「心で理解する」ために必要なのは、その日のために要してきた自らの痛みや苦しみや点数の伸びる喜びや感動といった「体験」の蓄積なのです。
この「体験」の蓄積による「心の理解力」には汎用性があります。
汎用性とはどういう意味かというと、「他の場面でも使える」ということです。
どんな生徒にも、同じように何かに向けてがんばらなければならない未来は必ずやってきます。
そのときに「頭ではなく心で」今からやるべきことの意味を理解できる。
それが人間的に大人になるということだと思います。
受験のために覚えた英単語や歴史の年号はいつか忘れるかもしれないけど、積み重ねた「体験」は心の中でいつまでも息づいています。
だから失敗をおそれずに、全力で戦ってきて欲しい。
私が受験生に願うのはいつもそれだけです。