Vol.227 生産性の議論

Vol.227 生産性の議論



2021年10月19日投稿
2021年10月19日更新



長らく経済の停滞が続く現代の日本。
多くの国が平均賃金を伸ばしている中で、日本人のお給料は30年近く変わらないまま、です。
「これはなんとかせんといかん!」ということで、色々な動きがありました。
その一つに「生産性」に関わる議論があります。
政府が「働き方改革」を掲げた2016年頃からでしょうか。
ビジネスの世界で「生産性」という言葉を毎日のように目にするようになり、日本人の働きすぎや効率の悪い仕事が特に問題視されるようになりました。
「生産性を高めよう!」をわかりやすく言えば、「最小の労力で最大の成果を狙おう!」ということ。
「働き方改革」などでは一歩進んで、仕事の「生産性」を高めて、趣味や育児など自分や家族のための時間をもっと増やそうという動きになっています。
今の日本にとって必要なことだと思います。
ただ、同じ論理で、「子どもたちの勉強の生産性も低い!」ということを言い出す方がいます。
「生産性」を高めた結果として、最大の成果を狙おうというのであればわかるのですが、意見を聞いているとどうも、勉強も最小の労力でやるべきと考えておられる方が多いように思います。
どうも、大人のための「働き方改革」と同じように考えていらっしゃるようなのですね。
これ、大きな間違いです。

わかりやすくするために、極端な例を挙げます。
1日10分の勉強で成績オール5、偏差値65の涼太君。
日頃の勉強面においては死角なしで、まさに「最小の労力で最大の成果」を実現しています。
これにて万々歳。
涼太君は、残りの時間はもう寝て過ごす、ということで良いのでしょうか。
本当にそれで3年後、5年後、10年後に後悔することはないのでしょうか。
・・・
そもそも、大人と子どもでは前提が違うのです。
ではいったい何が違うのか。
働く現場で「生産性」が問題になるのは、大人には「仕事も大切だが、仕事と同じ、あるいはそれ以上に大切なことが他にもある」からです。仕事に関して「ここまで出来ればOK(成果)」、その結果として「これだけの収入を得られればOK」も、ある程度は見通しを立てることができます。
だからこそ、仕事に「ここまで」と線を引くことができるのです。
子どもの勉強はどうでしょうか?
その子の「(勉強は)ここまででOK」の線はどこに引けば良いのでしょうか?
その線こそ、本人の「可能性」です。
子どもたちにとって自分の「可能性」の限界に挑むのはとても貴重な時間。
もちろん、勉強以外のことで自分の可能性の限界に挑戦するのも大いに結構です。
何をするにしても、最初から「最小の労力」を目的にしていては後悔しか残らないということ。
がんばった時間そのものにもきちんと価値はあるのです。


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