Vol.042 受験は「試合」なのか?「勝負」なのか?

Vol.042 受験は「試合」なのか?「勝負」なのか?



2018年02月20日投稿
2020年07月14日更新



いよいよ金曜日は都立高校の一般入試です。
大学受験生も私大受験のピークを少し過ぎて、週末に国公立大学の入学試験を控えています。

スポーツに例えるなら、受験日はまさに「試合当日」と言えるでしょう。
合否は「試合」の勝敗に相当し、あくまでも形式的なものです。
本当の意味での「勝負」はまた別に存在します。
「試合」に勝って(合格)、「勝負」に負けることがあれば、「試合」に負けて(不合格)、「勝負」に勝つこともあるのが受験の世界です。
「勝負」で戦っている相手は、となりの受験生ではありません。
自分自身です。
表紙が取れるまで使い込んだ単語帳、部屋の机の上に積み上げられた使用済みの大学ノート、マーカーだらけで、どこか要点なのか本人以外にはわからない参考書、教材を詰め込みすぎて変形してしまったリュック・・
必死に勉強してきた受験生であれば、身のまわりのすべての勉強道具が1年前とは比較にならないくらいにボロボロになっているはずです。
そんな道具たちと一緒に受験を終えた瞬間、「自分なりにベストを尽くせた」と思えたのであれば自分との「勝負」には勝ったと言えるでしょう。
しかし、そこまでやり切った受験生でも、不合格になることはあります。
どんなに勉強や練習を積み重ねても、「試合」に勝てないことはある。
なぜなら、「試合」は他人との勝負だからです。
真剣勝負の世界に「絶対」がないことは、先日の2人の「羽生」選手の戦いを見てもよくわかります。必ず勝てる「試合」など世の中にはないし、努力だけで物事が成就するほど人生甘くありません。

受験は「試合」なのか?「勝負」なのか?
本質的には後者です。
なぜなら、「受験」もその先の学校生活も、自己成長のためのプロセスに過ぎないからです。
すべては自分との戦い。
受験の世界において、「試合」に負けて「勝負」に勝つことには意義がありますが、「試合」に勝って「勝負」に負けるのは生徒の将来にとって害悪ですらある。
しかし、逆説的にはなりますが、「試合」という形式的な「勝ち」に徹底的にこだわるからこそ、その先にある自分との「勝負」が意味を持つのです。
だから、受験を終えるその日までは「試合」に勝つことだけを考えてもらいたい。
しかし、受験を終えたら・・

昨日もまた一人、何年も塾に通い続けてくれた塾生が本命校の受験を終え、清々しい笑顔で教室に帰ってきました。
何度も何度も涙を流して、それでもあきらめずにやり抜いて、昨日という日を戦い抜きました。
自分との「勝負」には間違いなく勝った。
あとは、「試合」の結果を待つばかり。
合格よりも価値あるものは、すでに手の中にあります。
でも、決してそれは目に見えないし、いまの時点で光り輝いているようなものでもない。
ボロボロになるまで使いこんだ勉強道具のようなものです。
大切にしまっておきましょう。

ここまで本当に、本当によく頑張った。
3年前、高校の合格発表の日にかけた言葉を、そのままもう一度贈ります。

「3年後、素晴らしい瞬間があなたの未来に訪れますように」


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