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Vol.049 どうせやるなら一生懸命

Vol.049 どうせやるなら一生懸命


2018年04月10日更新



教師として、どんな存在でありたいかということに関して一つの理想があります。

親しい知人が、こういうお話をしてくれたことがあります。
「振り返ってみると、中学3年生のときに通った塾が人生の転機だった。そのときに通っていた塾のオリジナルテキストの表紙に、“どうせやるなら一生懸命”という言葉が書いてあった。大人になった今でも、つらいときにはその言葉を思い出して頑張っている。」
これこそ、教師の存在意義だと思います。
中学や高校で習うことをそのまま社会に出て使う場面など、ほとんどありません。
しかし、日々の学習指導を通じて得た「体験」、かけられた「言葉」は一生の財産です。
つらかったけど、あのときもがんばれた。
だから、次もきっとできるはず。
前を向いてがんばろう。
この塾で出合う「体験」や「言葉」が、生徒にとってそんな存在となることができたなら最高です。

教え子に、自分のことを思い出してもらいたいとはあまり思いませんが、その生徒のためにかけた言葉が何か一つでも心に残ればいいなとは思います。
言葉を「理解」するという意味において、頭(論理)で「理解」するのと、心(感覚)で「理解」するのは全く次元が異なる話。
何かの歌詞を聴いて涙が出るのは、その言葉を心(感覚)で「理解」したときです。
偉大な芸術家のように感性が豊かであれば「体験」は不要かもしれませんが、大半の人は、その前段階として何かしらの「体験」があって、そこまでの感情にいたります。
これについては過去に記事にしたこともあります。
塾長ブログVol.036 成長をあと押しする言葉は「体験」とセットで考える
つまり、言葉を心で「理解」するためには、その前段階として「体験」が必要だということ。
「感動体験」を多く積んで、心の感度を高めておくことも同時に大切ですね。

人は「頭」で理解しているだけではまず動きません。
生徒の「心」で理解させるために、何ができるか。
どんな言葉なら「いま」、生徒の「心」に残すことができるか。
そんなことを考えながら、日々の指導にあたっています。