Vol.097 廣岡先生(後編)
2020年07月14日更新
塾長ブログですが、先週と今週に限り、執筆担当を交代させていただきます。
プラスジムの看板教師であり、たくさんの生徒から慕われていた廣岡が3月末で母校への就職が決まり、退職となります。
授業だけでなく指導哲学という意味でも、非常に素晴らしいものを持った先生でした。
せっかくなので、何を考えて仕事をしていたのかを語ってもらうことにしました。お世話になった保護者様や生徒たちへのメッセージをブログにも残してもらいたかったのです。
後編の今回は、廣岡が最後に生徒全員へ宛てた手紙を一部編集し、公開させていただきます。
「彼らしさ」に溢れる内容でしたので。
いつもこうやって生徒に力強い言葉をかけてみんなを引っ張っていました。
退職を聞いて、プラスジムへ足を運んでくれて、本当にありがとう。
最後の日に、みんなの顔が見れて、本当に幸せでした。
僕は兵庫県姫路市にある私立高校で世界史の教師になります。
自分自身が中高6年間を過ごした母校で教鞭を取ることになった訳を、ここで話させてください。
僕は大学1年生の秋、サークルの先輩に誘われて、プラスジムに入りました。
大学に入った頃は、自分には教える仕事は向いていないと思っていたけど、慕っている先輩からの誘いだったから、面接に行きました。
面接したのは原先生。
教える仕事のやりがいを聞いて、「頑張ってみよう!」と思い、働き始めました。
生徒と話すのが楽しくてプラスジムに来る頻度は増えていき、「次プラスジムに行くのはいつだろう」と楽しみになっていきました。
でも、定期テストの点数を上げるのは難しく、試行錯誤の日々でした。
あるとき、原先生から提案をいただきました。
「都立受験生に理社の集団授業をしてみないか?」
実はすごく迷いました。
プラスジムは楽しいけど、集団授業の経験はないし、成績を上げられる自信もない。
上手くいかなくて、生徒に嫌な思いをさせたらどうしよう。
そんなことばかり考えて、1週間ほど返事を伸ばしました。
そんな時、プラスジムに来て初めて授業を担当した生徒が受験を終えた直後、「先生の授業が楽しくて受験頑張れた」と言ってくれました。
上手くやれている自信はなかったけど、「そういってくれる生徒がいるのなら、もっと頑張って、もっとたくさんの生徒と一緒に受験を戦いたい」と思いました。
そして、「初めての取り組みで、つたない部分もあると思いますが、生徒と一緒に全力で1年間受験に向き合います」と原先生に返事をしました。
こうして始まった都立受験コース。
様々なことがありました。
1学期は木・金に分けて理社の授業。
チェックテストやフォレスタステップの勉強、懐かしい。
夏休みも毎日塾に来て勉強、勉強。
2学期からは、「学び合い」も始めて、受験勉強本格化。
Vもぎの後は解き直し会もやったし、都立過去問も何度もやった。
でも、勉強ばっかじゃなくて、遊ぶときは遊び、勉強する時は勉強する。
最高の受験生活を送れました。
1年目の合格発表の日。
合格者が第1教室に集まり、歓喜の時間でした。
不合格者はその後、個別に時間を決めて塾に来て、僕たち講師と話しました。
S君は、「自分は全力で受験に向き合ったから悔いはない。でも一緒に受験を戦った〇〇(Y君)が都立に受からなかったことが悔しくて仕方ない」と涙が止まりませんでした。
その後、〇〇(Y君)を呼ぶと、同じことを言い、涙を流しました。
「自分に悔いはない。でもあいつ(S君)が落ちたことだけは納得いかない」と。
合格者、不合格者それぞれ様々な思いを抱えて高校生になり、次のステージで頑張り始めました。
この経験が、教職を志した初めのきっかけです。
君たちとの受験生活が楽しく、充実した時間で、結果が出た後も成長を続ける姿を見て、中学生と共に勉強に向き合い、お互いに成長していく喜びを知り、教師になりたいと思うようになりました。
急いで教職の授業を取り、教育実習にも行って、今年度で何とか免許を取得することができました。
教育実習に行く中で、母校に誘われ、就職することになりました。
プラスジムの都立受験コースは、僕にとって人生の転機で、何より大切な場所です。
君たちと出会えて本当に良かった。
本当にありがとう。
みんなが集まってくれた3/22の夜、1人涙が止まりませんでした。
人生で一番幸せな時間でした。
いつまでもこの場を大切にしながら、それぞれの道を歩んでいきましょう。
この話で触れられている合格発表日の出来事は2年前の私のブログにも記録されています。
S君に久しぶりに会って少し話しましたが、見違えるほどに成長をしていました。
あの悔しかった日のことをまったく忘れておらず、高校でも勉強に励み、中学2年生時は偏差値40弱しかなかったのに今では校内成績もトップクラス、最難関私大に挑戦できるレベルにまで成績が伸びていました。
「すべては、あのときの経験のおかげです。」と迷いなく言い切ってくれたのが嬉しかったです。
「3年後」まで残り1年、廣岡の意志を継いだ生徒たちの春が楽しみです。