Vol.011 開校から4年、ついに塾生が東大に合格、理Ⅲ医学部も
2024年08月20日更新
3月10日は東京大学の合格発表日でした。
少しだけ昔話をさせてください。
約4年前、個別指導プラスジムは久我山駅前にひっそりと教室を開校しました。
塾長である私と当時はまだ東大の学生だった神宮、あとは数人の東大の学生とともに「久我山に日本一の教室を創る!」と志を立てて、いまに至っています。
2013年2月14日。
初めての塾チラシを久我山駅近隣の皆さまに新聞広告としてお届けしました。
「こういう塾があるのか」とご興味を持っていただき、お問合せをいただくこと53件。
この反響数が多いのか少ないかも、当時の私にはわかりませんでしたが、いらしていただいた生徒や保護者様に必死で「こういう塾です!」と説明をしていました。
しかし、いま思えば笑ってしまうほどにお出迎えの準備が不十分。
面談室の教材棚はほぼ空っぽ、教室の奥は照明設備が足りずに薄暗い。
そもそも、教室の中に人の気配がないので、教室に入ってこられた途端に警戒してすぐに帰られてしまう保護者様も。生徒とお母様に気に入っていただいたと思ったら、お父様がお電話してこられて1時間以上にわたって延々とカリキュラムや教育方針の説明を求められたこともありました。
塾で働いた経験は長い私でしたが、自分自身が校舎の設計からチラシの作成、経理や社会保険の申請などを行うのは全く初めての経験。想定していなかったタスクに追われ、保護者様の安心感への配慮というような準備が全く欠けていたことを反省しています。
あったのは教育への真剣な「想い」だけでした。
結局、お問合せいただいた大半の方はこの塾を選ばれませんでした。
それでもこの塾に「なにか」を感じてくれた、わずか20名の生徒、それを支えてくれた保護者様との出会いから、この塾の物語は始まります。
その20名の中に4年後、東大理Ⅲに合格することになるN君はいました。
2016年、塾では2番目に古い生徒になっていました。
彼だけを特別扱いをして指導していたかというと、決してそんなことはありません。
彼が特別だったのは、とにかくこの塾の講師を信頼して指導についてきてくれたという点と、お母様が彼を信頼して、塾の指導方針にほとんど口を出されなかったことです。
1年前、この塾でこのまま受験勉強を続けるつもりかどうかを彼に問いました。
塾としてはベストを尽くすつもりだけれど、開業して3年、東大合格の実績はまだない。
言葉にはしませんでしたが、「それでもついてきてくれるかい?」と、心の中で彼に聴いたのを覚えています。高校3年生に上がる前のタイミングで予備校に変更される方も多いですが、それが悪いことだと私は思っていません。
たった一度の受験、本人にとって最も納得のいく選択肢、それがベストですから。
クールな彼が選んだ回答は「YES」でした。
そのような言葉を私に言うでもなく、休塾届が出されることもなく、それまでの3年間と変わらず黙々と塾に通い続けてくれました。
その背中に勇気をもらったのは、むしろ私だったように思います。
そして先週の東大理Ⅲ合格。
東大の中でも別格の難しさ、98名しか突破できない日本一狭き門を通過したのです。
もう一人、東大理Ⅰに合格したY君についても語らずにはいられません。
そもそも、彼は久我山から遠く離れた場所に住んでいる生徒です。電車で1時間以上かけてここまで通い続けてくれました、彼もまた創業年からの塾生です。
お母様からここを聞いたと言って、遠いところから一人ではるばる塾の見学にやってきました。
会話をすること30分、第一印象は、とっても生意気な生徒(笑)。
しかし、背伸びをしているのは確かですが、会話をしていると、考えていることが「深い」。
私は生徒の潜在学力を見るために、あえて「長話」をしてみたり、途中で会話のスピードを上げてみたり、あちらこちらに脱線させてみたりするのですが、彼は集中力を切らさずについてきます。
自分への関心に加え、知的好奇心が高くないと、私のこうした話は退屈です。
典型的な反応として、途中から目が泳ぎ始めます。
しかし、彼は目を輝かせてずっと話を聞いていました。
東大生に非常によく見るタイプです。
心の中で『鍛えたら、かなり伸びそうだな』と思いました。プライドが高く、活かすも殺すも指導者次第だと責任も感じましたが、思い切って「この塾でがんばってみないか?」と誘ってみました。
自宅から距離があることが障害でしたが、結局、彼はこの奇妙な塾に電車に乗って通うことを決めてくれました。それからずっと他の塾も予備校も通わずに、東大合格を果たしてくれました。
通塾を続け、見えないバケツの桶に水がたまっていくように、彼のなかに知識がたまっていくのを実感していました。しかし、試験では力が入りすぎてしまい、なかなか思うような点数が出ない・・・イライラも募っていた彼が高校2年生になった頃でしょうか。授業中、彼に「A、B、CD・・」とアルファベットの発音を教え始めた講師がいます。中学1年生どころか小学校低学年の英会話教室で習うような内容。「すでにセンターレベルの長文でも読めるようになっているのに、なぜそんなことを!」と言葉にはしませんでしたが、彼の不満気な表情は明らかにそう物語っていました。
そんな彼に迎合することもなく、面談では「なぜいまアルファベットだったのか」を順を追って説明しました。
この先の反応で合格できる生徒かどうかはわかります。
ここで感情的になってしまうようでは、その先の厳しい受験を乗り越えられる可能性は低い。
彼は合格できる生徒でした。
焦る気持ちもわかる、プライドがあるのもわかる。でも、まだ2年あるのです。
「いまの自分」を客観的に見つめる勇気のない人間が東大に合格することはありません。
彼はしっかりと私の言葉を受け止めてくれたように思います。
使い古された言葉ですが、受験とは他人との戦いではなく、自分との戦い。
難しい学校に挑戦すると、心のなかにいる「弱い自分」が容赦なく自分に襲いかかってきます。
これから受験生になる皆さんは、それに負けないでくださいね。
東大に合格したN君もY君も決して順風満帆な4年間ではありませんでした。
自分に勝ち、受験において日本一困難な山を登り切った二人を心から祝福したいと思います。
本当におめでとうございます。
■2024/8/20追記
東大理Ⅲに合格したN君ですが、その後ここで講師になり、今は研修医として働いています。
当時、N君の担当講師として東大合格に導いたのが、現在「都立受験コース」の代表を務める北村です。北村は自作の問題のみで指導を行い、N君は入試本番(東大二次試験)の数学で118点/120点を取ってきたという伝説があります。(N君は数学で他の塾予備校には一切通っていません)