Vol.070 誰が理想を語り、誰が現実を語るのか
2020年07月14日更新
原発は是か非か?
利己的な動機がない場合、このような議論の対立構造は「理想論」と「現実論」に分かれます。
理想論は「どうなると素晴らしいか」が最優先、現実論は「できるかどうか」が最優先。
とここでは定義します。
東日本大震災をきっかけとして、原発に関する議論のパワーバランスが変わりました。それまではあまり目立つことのなかった理想論者(原発反対派)の意見が強まり、政治や経済の様々な場面で現実論者と衝突が起きている現場を私たちは目にしています。
このケースにおいて、双方が利己的な動機を完全に排して(これが難しいのですが)、激しい議論を続けた場合、より「高いところ」へ人間社会は成長していくものと思われます。
つまり、「理想」と「現実」の対立構造こそ、飛躍的な成長の原動力であるというわけです。
前置きが長くなってしまいましたが、子どもの成長に関しても同じことが言えます。
周囲に「あなたは東大だって合格できる!」と理想を語る大人がいた方がいいし、「いまの自分でも合格できる学校の見学に行きなさい」と現実を語る大人もいた方がいい。
本人の中に理想論者も現実論者もいて、葛藤を繰り返しているような状態が望ましいです。
アメリカの政党のように、局面に応じて2つの立場の主導権が入れ替わるようなイメージでしょうか。議会よりはるかに頻繁に政権交代は起こりますが・・。
このように考えると、その子が触れる考え方や哲学、他者の意見や信条といった情報に関しては「中立」、どちらかに偏りすぎることなく両方バランス良くあった方が良いことになります。
父親が「理想80、現実20」であれば、母親が「理想20、現実80」のようにして、ご両親の合計でバランスが取れていてもいいでしょうし、結果的に子どもの中に両方の視点が得られるような教育環境がベストであると私は考えます。
そのため、保護者様の子どもへの接し方がどちらかに偏っていると思えば、私が反対側にまわってバランスを取るようなこともしてきました。
20年近く前からこの仕事に関わっていますが、最近は「理想」を語る保護者様が減ってきているような印象を受けています。
社会の先行きが不透明ですから仕方がないのかもしれませんが、少し残念なことです。
いまの時代、「理想論者」と「現実論者」のどちらか一人しか、子どもの近くにおけないのであれば「理想論者」をおくべきであるというのが私の立場です。
「現実論」は世の中にあふれているからです。
「理想」を希求できる、大きな夢を持つ若者がいま、社会には求められているように感じています。