Vol.083 臆病者だから勇者になれる
2020年07月14日更新
「勇気」というのは、「怖い」という気持ちを持っている人にしか発生しません。
最初から恐怖心が欠落しているのはただの「蛮勇」です。
危険に対して恐怖心が強いのは、失敗を想像する力があるからであり、そのように想像力が豊かなことは何も悪いことでもありません。
むしろ、頭できちんと先を想像しているという点で、賢者であるとさえ言えます。
その恐怖心を乗り越える力のことを「勇気」と言います。
一流の登山家や危険なスポーツで世界的に活躍する選手へのインタビュー記事で、「怖くないのですか?」という質問を目にすることがたまにありますが、私が目にしてきた範囲ではその質問に対する彼らの回答は全く同じでした。
「怖いです」と。
一流になるまでには膨大なトライ&エラーが必要です。
恐怖心があるから、命を落としたり、大きな怪我をすることなく一流になれたわけです。
視点を変えれば、危険が伴うスポーツで一流になろうとする人間は、身体的な才能に加えて生まれつき「臆病」な性格である方が恵まれているという考え方もできます。
まったく同じ理屈で説明できることが他にも色々あります。
代表的なものがコミュニケーション能力。
対人関係において繊細過ぎる人はコミュニケーションですぐに疲れてしまったり、相手がどう思うかを気にしすぎて発言できなくなってしまったりするものですが、その繊細な性格はコミュニケーションにおける武器として使うこともできます。
鈍感な人は、相手の心の細かい部分に配慮した発言ということがなかなか出来ないですからね。
「コミュニケーションが苦手な自分だからこそコミュニケーション達者の素質がある」と考えるようにしてもらいたいものです。
心の「弱さ」を自覚している人にも同じことが言えます。
本物の「強さ」とは自分の「弱さ」と対峙し克服していく過程で身についていくものです。
生まれつき打たれ強い人はいますが、大人になって同じように打たれ強いかというと怪しいものです。むしろ、葛藤経験が少ない分、打たれ弱くなっているのではないかと思うくらいです。
人には変えられることと変えられないことがあります。
大人になっても臆病な気質は変わりませんし、繊細な性格も多分そのままです。
しかし、他人からの印象がそのままであるかどうかは本当に自分次第。
「臆病であることや人見知りな性格であることを知っているのは自分だけ」という一流のプロフェッショナルはたくさんいるはずです。
「ない」ことを嘆くのではなく、「ない」からこそなれる自分は何かを未来志向で考える。
「強み」がそのまま武器になる人生もありますが、「弱み」があったからこそ大きな価値を世の中に提供できた人生もあります。
むしろ、歴史に名を残すような偉人は後者のパターンが多いように思います。
大切なのは、「ないから自分はダメ」と決めつけてしまわないことですね。
「ある」も「ない」も同じように自分だけの「強み」になりえるのですから。