Vol.120 退職する東大講師へ語った仕事論
2020年07月14日更新
「私は正直、生徒にテストで高得点をとらせるために勉強をさせるという塾の方針に疑問を抱き続けていました。」
退職するときに、このように打ち明けてくれた東大講師がいました。
そういう疑問を抱えながらも、彼自身の勤務態度は終始一貫して誠実なものであり、生徒からも好かれる良い先生でした。
心の中で抱えているものがなんであれ、仕事そのものは塾の方針にしっかりと合わせようと努力をし続けてくれたので、こう言われても私としては特に問題に思うようなことはありません。
彼がこの塾で本当にやりたかったことは「勉強の楽しさを伝える」ことだったようです。
しかし、「成績を伸ばすこと」を目的とせず、「勉強の楽しさ」を伝えるサービスを提供したとしても中学生や高校生に来てもらうことはできないと私は考えます。
「勉強の楽しさ」を知るよりも先に、定期試験や受験で生じる「痛み」を何とかしたい、そういう切実なお悩みを解決するための手段というのが、一般的な学習塾の存在意義だからです。
彼にとっては残念なことですが、これが自分たちを取りまく「現実」なのです。
しかし、それを嘆いていても始まりません。
なぜなら、すべての仕事は「現実」を受け入れるところから始まるものだから。
「勉強の楽しさを伝える」という「理想」があるのは、とても素晴らしいことなのです。
その「理想」を何としても実現したいという強い信念があるならば、それを捨てる必要はない。
それを失って「現実」の奴隷になった途端、仕事はつまらないものになってしまいます。
「理想」はこうあるべきだけど「現実」の諸条件はこうなっている、そうであるなら、その条件をどういう風にクリアしていけば自分の「理想」を実現できるだろうかと考え続けるのが仕事なんだと、私は彼に言いました。
心の中に大きな「理想」を思い描くほどに、目の前の残念な「現実」とのギャップが生まれます。
それはそのまま、自分の心理的葛藤となります。
この葛藤に心が耐えられなくて、大抵の人はどちらかに偏っていくことになります。
若者に多いのが、「現実」から考えられていないために「理想」を語らせると空論になってしまう人。
この「現実」無視の何が問題かと言うと、仕事の成功確率が著しく低くなることです。
理想論も、狙いが時勢や環境にたまたま合って、爆発的に成功することもあるのですが、多くの人を巻き込む仕事で、そういう奇跡ばかりを狙うのは無責任です。
たまたま上手くいった成功事例を「夢」とセットで販売する自己啓発商法、多いですね・・(笑)
そして逆のケース。
仕事の経験値と比例して増えてくるのが、「現実」に合わせすぎて「理想」を失ってしまう人。
自分がこうしたいという「理想」がないわけですから、仕事に対する内なる情熱は冷めています。
自分を空っぽにして「どうあるべきか」に合わせている分、職場での評価は高い場合もありますが、これはこれで悲しい状態です。
どちらかに偏るのではなくその中間で、この心理的葛藤と戦い続けることのできる人を本物というのだと私は思います。
疑問を抱えながらも考えることを止めずに、最後まで勤め上げた冒頭の彼もまたそういう人。
ここでのアルバイトは自分の「理想」を実現するには少し時間が足りなかったかもしれないけど、ぜひ次の仕事では自分の「理想」とする世界へ「現実」を変えてもらいたいと願っています。