Vol.131 最高ではなく最適

Vol.131 最高ではなく最適



20196年12月03日投稿
2020年07月14日更新



どんな教師が、どんな学校が、どんな塾が、最高なのか?
このことに関して頭に入れておかなければならないことがあります。
それは生徒の教育的な意味における「最高」とは、その生徒にとっての「最適」であるということ。

「最適解を探す」

先生選びでも、学校選びでも、塾選びでも、この視点が優先されるべきなのです。
一例をあげましょう。
いくら良い高校や大学であっても、通学時間がかかりすぎるのであればその生徒にとっての「最適」ではありません。しかし、いじめなどが理由で「あえて」知り合いのいない遠い学校を選択しているのであれば、その選択は「最適」な選択となっている可能性はあります。
どんなに評判の良い学校や塾であっても、その生徒の状況に合っていなければそこは「最高」の教育環境ではありません。それは教師に関しても同じことが言えます。どんなに良い先生でも、相性が悪ければ、期待できる効果は限定的なものになります。

実は、ここが私たち教育者の腕の見せどころです。
どの生徒にも全く同じ対応をしていたのでは、「誰かにとっての最適」は実現できても、他の誰かにとっては「最適」ではない学習環境が出来上がってしまいますから。
ひとつの考え方としては、「東大に入りたい人のための塾」のように、最初から「最適」な人が誰かを宣言し、そういう人以外はその場に入れないという方法があります。
これを徹底できるなら、それはそれでいいと思うのですが、学校にせよ、塾にせよ、入り口で「あなたには合わないのでお断り!」と言うのはなかなか難しいものです。
そもそも、入り口段階で、その生徒についてわかっていることは限られています。
教場を開校した時点で、それなりに多様な生徒が入ってくることを想定する方が自然な考え方ではないかと思います。
そうなると、理想の教場にとって大事なことは、

A:その生徒にとっての「最適」を理解・把握すること
B:生徒によって課題解決策を変えること(限界はあります)

の2点となります。
特に重要なのは「A」です。
ここがズレてしまっていると、「B」の課題解決策はまったく意味をなさないからです。

核心に近づいてきました。
良い先生というのは、その生徒のことを誰よりもよく知っている先生です。
その先生が家族でも知らないような、その子だけの特性を知っているのなら、その子にとってそんなに心強い先生はいないわけです。
つまり、「最高」の指導の大前提は、正確な「生徒理解」。
相手を良く知るためには、コミュニケーションが不可欠ですから、生徒と教員間のコミュニケーションがあまりない学校や塾に「最高(=最適)」な指導は存在しません。
特に個別指導塾の場合、保護者様の視点としては、
「この塾の先生はどの程度、自分の子どものことを知ってくれているのか」
という物差しで、塾の良し悪しを判断されると良いのかなと思います。
課題解決策(指導技術など)よりも、まずはそちらが優先です。


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