Vol.283 三鷹教室開校します
2022年11月15日更新
2023年1月、三鷹駅南口徒歩2分のところにプラスジム三鷹教室を開校します。
塾を創業してから10年、長く困難な道のりでした。
新規開校は実に8年ぶりのことです。
その昔、プラスジムは京王線仙川駅近くに2教室目を開校したことがあります。
しかし、その教室を上手く成長軌道に乗せることはできませんでした。
学習塾は生徒の人生を預かる仕事です。信じてついてきてくれた生徒や保護者様の期待に、応えられないほど悲しいことはありません。
もう少しがんばれば何とかなるのではないかという気持ちと、倒産危機のギリギリのところで悩み苦しみ、結局、開校から約1年後に撤退を決断しました。
私自身は久我山を離れることも出来ず、どうすることも出来ませんでした。
決断タイミングとしては遅すぎたと思います。
金融機関をまわったり、税務署に何度も謝りにいったりと、みじめな思いもすることになり、社長とはなんと大変な役割かと思ったものです。
万策尽きたところで、ある方に救っていただき、何とか会社の危機を乗り切りました。
久我山は順調でした。
私が「教室長」をやっていたから、という面もあったと思います。
能力ではなく、求める「基準」の高さの問題です。
起業というのはゼロからのスタート。
その「基準」は自分が設定する以外になく、それがそのまま塾のレベルになります。
すべてを背負っている社長なのですから、自塾に求める「基準」が高いのは当たり前。
手痛い失敗を経て、私が「教室長」をせずとも成果が出る、強い「仕組み」が必要だと痛感しました。同時に、塾の当たり前の「基準」を破格的に高く設定しなければならないと思いました。
新しい地域の方からすれば、「プラスジム、何それ?」なわけですから、条件が同じなら、知名度のある大手塾や地域密着で長年の実績がある塾を選ばれるに決まっています。
塾を検討されている方が話を聞いてすぐに、「この塾は他とはまったく違う!」と感じていただけるだけの実力をつけるまで、2教室目は出さないことにしました。
私抜きで「仕組み」がうまくまわり、私がいなくとも「基準」が相当に高い状態でキープされている、目指すのはそういう状態です。
まず、変える必要があったのは自分の立ち位置です。
こっそりと自分の肩書きを「教室長」から「塾長」に変え(笑)、現場で面談などを行う「教室長」の立場から1年以内に身を引く決断をしました。
そして「仕組み」づくり。それまでのプラスジムは「講師全員東大生」という特徴はあったものの、「仕組み」自体はオーソドックスな1対2形式の個別指導塾でした。
ただの個別指導塾を増やしても仕方ない。
それなら、すでにほとんどの駅にあるのだから。
まったく新しい教育体験を提供するための枠組みを創らなければならない。
東大生の仲間たちと一緒に未知の領域への挑戦が始まりました。
「都立受験コース」は、そのようにして生まれたコースです。
基本設計は1期目からあまり変えていません。
しかし、「都立受験コース」は、それをまかされる講師に相当な熱意と能力を要求するという点で誰にでもできるようなものではありませんでした。必然的に、それを担うことのできる講師をどのようにして採用育成するかが、会社として大きな課題になりました。
熱意、能力という点で「都立受験コース」の授業をまかせられると思える人材は、1年に1人~2人採用するのがやっと、という状態でした。
「教室長」の属人性からの脱却に続いて、講師の属人性からの脱却が課題となったのです。
新教室でも「都立受験コース」を行うのであれば、これは避けられない課題です。
企業秘密としておきますが、この2年間で、この講師採用育成問題がようやく解決しました。
2年前に「都立受験コース」に関わっていた講師はわずか6名ですが、いまは部分的に授業をまかせている講師を含めると15名以上が運営に関わっています。
前回は現地で採用を行い、久我山とは別の講師陣で教室運営を行いました。
三鷹教室は、同じやり方をしません。
「都立受験コース」の主要講師は久我山と兼任することを前提として「仕組み」を構築します※。
(※コースが開講するのは2023年4月です)
さらに、初年度の「教室長」として、三鷹教室の「基準」の番人をするのは私です。
入塾面談や3者面談も私が行います。運営に問題がないか、生徒や保護者様の声を直接ヒアリングしながら、慎重に進めていくことにしました。
正直、私がやらなくても大丈夫だと思いますが、念には念を入れるためです。
ありがたいことに、「塾長が久我山を離れるのは心配」という声もいただきましたが、これも大丈夫だと考えています。私は昨年から自分の席を最前線から別の教室に移動し、自分が現場に常時いなくとも教室の健康状態を把握できる「仕組み」を築いてきました。それは生徒情報の共有ルールであったり、数値化であったり、社員の配置であったり、監視カメラであったりするのですが、今は教室の外にいても、教室のことがかなりクリアにわかる体制になっています。
もちろん、自分の眼でも確認を行いたいため、定期的に教室巡回は行っていますが、その頻度は三鷹教室開校後も変えるつもりはありません。
三鷹が上手くいって久我山がダメになるのであれば、新規開校の意味はまったくありません。
人は起きている出来事から、色々と想像するものです。
なにかあれば(関係のないことでも)三鷹教室と結びつけて批判されることになるでしょうから、これまで以上に良くなったと言われるくらいでちょうど良いと考えます。そのためにこの2年間、仕込んできたことがありますので、現在、久我山教室にお通いの方も、これからのプラスジムをぜひ楽しみにしていていただければと思います。久我山は来年2月で開校10周年ですが、この節目の年にさらなる進化を遂げることになります。
そして、まだお会いしていない三鷹地域の方。
初年度は特におススメです!!
私自身は、開始年度も今もまったく変わらない気持ちで教室運営しているつもりではあります。
しかし、開始年度というのは、それとは別に、何か特別な力が場に生まれるようにも思うのです。
これは私の仮説ですが、場の「創造エネルギー」に人が共鳴するからではないでしょうか。
当時のスタッフは講師1期生として、大きな影響力を発揮し続けましたし、この塾との出合いで人生が変わる生徒が続出しました。
その一例を挙げます。
・初年度、受験生全員が第一志望校に合格
・その年の中学3年生が、後に東大に3名合格、うち1人は東大理Ⅲ(日本最難関)
・数学の定期試験2点の生徒が、塾に通うようになって100点をとってくる※
・偏差値45の公立中学2年生が翌年に西高(都立トップ)合格
・講師の影響で、法曹を目指すようになった高校生が後に司法試験合格
※)過去のブログに0点→100点と書いていたのですが、正確には2点だったようです笑
安定感よりも爆発力、といった感じですが、出来たばかりの教室には開始年度特有の勢いがあります。東大理Ⅲに合格した生徒は「出来たばかりだから絶対に良いと思った、先生も真剣だと思うから。」とプラスジムを選んだ理由を後に明かしてくれましたが、さすがです。彼が入塾した頃のプラスジムは授業中の生徒が各コマ1人いるかいないかという状態。教材棚はガラガラでしたし、照明設備すら整っていなくて、怪しさ全開でしたが(笑)
久我山の創業年は、私の力不足で50名ほどしか来ていただくことは出来ませんでした。
ただ、結果的には、それが良かったかなと思います。
手厚い指導ができたからか、満足度が高まり、たくさんの生徒が自然と集まる塾になりました。
翌年以降はコロナ禍の年度を除き、常に生徒数100名を超える満席状態が続いています。
三鷹教室も、この成功パターンを踏襲し、開校初年度は定員を上限50名までとします。
さらに、初年度は高校生の募集も行いません。
「やるべきこと」を多方面に分散させないようにするためです。
生徒と保護者様の最大の満足を実現するため、とにかく無理をしない開校計画になっています。
私自身、ひさしぶりに生徒指導に直接関われるのがとても楽しみです。
おもしろい塾を探しておられる方は、ぜひ一度ご連絡ください。
皆さまとお会いできる日を楽しみにしております。