Vol.043 信じるものは救われる
2020年07月14日更新
プラスジムの講師に、合格点+0.5点の点差で東大に合格した女性がいます。
受験生時代、周囲には「東大は絶対にムリ、京大にしろ!」と言われ続けていたようなのですが、最後の最後まであきらめず、粘りに粘って東大合格を実現しました。
そんな彼女に受験生時代に何をしていたかを聞くと、面白い回答が返ってきました。
「毎日、祈っていました」と言うのです。
彼女が通学で毎日乗っていた電車は、神社の近くを走っていたそうなのですが、電車の中から毎日その神社に向かって自分の東大合格を祈願していたらしいのです。
「これだけ祈っていたのだから、不合格になるはずはないと信じていました」と言う彼女。
この話に受験における一つの真理があります。
どんな勝負事においても高いパフォーマンスを発揮するために絶対に必要なものが「自信」です。
「自信」が大切なのは、受験のような勝負事に限りません。
人生を生き抜くために、最も必要な力は何かと言われたら、それは「自信」です。
「自信」さえあれば、どんな逆境からでも立ち上がれますから。
しかし、「自信」を失ってしまうと、生きる意味すら見失ってしまいかねません。
「自信」の根拠をどこにおくかは、人それぞれで良いと思います。
冒頭の彼女のように、それが「神様」であっても別に構わない。+0.5点という点差はおそらく、彼女の毎日の祈りがなければ届かなかった点差でしょう。信じるものがあったということが、彼女のパフォーマンスに微妙な好影響を与えたことは間違いがないと私は思います。
もちろん、勉強もせずに毎日祈っているだけで合格できないのは当然です。
「やるべきこと」を全てやり切ったうえで、「自信」を深めるために何ができるのかというのが、ここで述べたいことであって、「やるべきこと」をやらずに祈るのは怠慢以外の何物でもありません。
受験で言えば、最低でもボーダーラインまでは「自力」で頑張らなければならない。
「自分が積み上げてきたこと」を「自信」の根拠にしなければならない。
ボーダーというのは、合否が五分五分のラインのことです。
前回記事(Vol.042 受験は「試合」なのか?「勝負」なのか?)でも書きましたが、勝負事に絶対はありませんから、ボーダーから先の「自信」の根拠に「他力」を使うのは、まったく構わないと私は思います。
プラスジムでは受験当日まで、受験生のために色々なことをします(都立高校入試前日)。
手紙を書いて渡したり、入試当日の朝に応援に行ったり、お菓子を持たせたり、さらには受験中の学校の校門前に行ってお祈りをしたりといったことまで・・
一見すると、科学的な根拠は全くないように見えますが、私はそのようには考えていません。
「自分の合格を心から願ってここまでやってくれている人がいる」という事実は、合否五分五分のボーダー(※)という状況下においては、大きな意味を持ちます。
なぜなら、教師との信頼関係が「自信」の根拠になり、パフォーマンスに影響を与えるから。
プラス30点とは言いません。
プラス1点、2点のために、最後の最後、私たちにできる限りのことをします。
都立入試も終わり、国公立大学の前期試験も終わり・・
あとは、合否の連絡を待つだけという塾生が大半を占めるようになりました。
このブログを読んでいただいている受験生も同じ状況かもしれません。
勝負事に絶対はありませんが、皆さんの努力はきっと報われる。
合格発表前夜、そう信じて、筆をおきたいと思います。
※プラスジムは限界への「挑戦」を是とする理念のため、ボーダーラインの受験生が多いです