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Vol.067 トイレ掃除の哲学

Vol.067 トイレ掃除の哲学


2018年08月28日更新



開校以来、第一教室のトイレ掃除は私が一人でやってきました。
会社を創ったときに最低でも5年は続けてみようと思い、今年で5年が経ちました。
やってみようと思った理由は、単純にそれを習慣にしている立派な人が多いから。
トイレに神様がいるとか、そんな風には全く思いませんし、トイレに何の思い入れもありません。
思い入れがないからこそ、何か気づきがあるかなと思い、やり始めたのです。

トイレ掃除。
誰にでもできることなので、「タテ」の視点がないと、人よりも良い仕事は出来ません。
この「視点」については先日、ブログにまとめさせていただきました。

Vol.065 成長する人としない人の視点の違い

小学生にもできる簡単な仕事です。
しかし、この小学生にもできる簡単な仕事が、大の大人がいつまで経っても完璧にできません。
2年目になってようやくドアを拭く作業が手順から抜け落ちていることに気づいたり、3年目には薬剤を変えることで、洗面台がピカピカになることに気づいたり、細かいことを言い出せばきりはないのですが、5年経っても掃除の手順はまだ定まりません。
もっと良い方法はまだまだあるはずです。
トイレというのは嫌な感じに汚れてくるので、「出来ていない」を目に見えるかたちで自分の前に突き付けられます。忙しかったり、トイレの使用法に関するしつけが行き届いていなかったりと原因は色々なのですが、「汚れている」のはすべて自分の責任です。
こんな簡単なはずのことですら完璧に出来ないという事実は、一つのことを「極める」ということの難しさを再認識させてくれます。

何年か前に堀江貴文さんが「寿司職人が10年も修行するのは時間の無駄」といった趣旨の発言をして議論になっていました。
私は、非効率だという指摘には同感ですが、地味な修行それ自体には意味があると考えています。
単純な仕事を継続して「基準」と徹底的に向き合うことは仕事の「哲学」を育てます。
高級な寿司店ではその「哲学」が付加価値となっている側面があろうかと思うからです。
そもそも、繊細な味覚を備えた美食家でもない限り、「そこそこ美味しい」以上の美味しさを判別することはできません。
そのため、超高級寿司店においては「なぜこの寿司にこれだけの金額を払う価値があるのか」を何らかのかたちで顧客に伝える必要があります。
例えば、飯炊き一つとっても、それを10年間毎日継続した人だからこそ知っている「ちょっとしたコツ」というものがあるはずです。
湿気の多い日は・・とか、新米の時期は・・とか、私はわかりませんが、一流の職人は毎日同じようにやっているわけではないと思います。
一流の職人のこだわりを知ることで初めて顧客はその価値を認識し、他の寿司屋よりも高いお金を支払うわけです。
ですから、10年の修行が無駄=価値がない、ということはありません。
地味な下積みは何事においても大切です。
その一方、これだけ世の中の動きが早い時代に飯炊きばかりしているのも不安です。
寿司職人の「哲学」には興味のない世の中に価値観が変化する可能性もありますし、寿司職人を辞めなければならない事情に直面するかもしれません。
地味な下積みも大切だけれども、「誰でもできること」にすべての労働時間を投下するのもハイリスクというわけです。

そこで、登場する考え方が「基準の一点突破主義」
勉強でも仕事でも、自分が決めた何か一つに強いこだわりを持って、そこから「高い目線」を獲得する方法です。例えば、これまで定期テストで70点を超えた点数を取ったことのない生徒が、次の定期試験からは社会だけは何があっても80点を超えられるように勉強をしてみる。
そうすると、80点を超えるためには何が必要かという「基準」の視点が得られます。

私にとってのトイレ掃除は、そんな視点を得るための大事な時間になっています。
まだしばらくの間は、この仕事と向き合っていくつもりです。