Vol.093 信じることを決めるのは自分

Vol.093 信じることを決めるのは自分



2019年02月26日投稿
2020年07月14日更新



プラスジムの「強み」の一つに、熱意ある講師の存在があります。
20代の新人教室長の頃は講師育成がまったく上手くできませんでした。
なぜ人はこんなにも自己中心的な生き物なのだろう?とほとほと手を焼いていたものです。
そんな中、社会で優秀なリーダーとされている方の本をたくさん読み、自分の指針となる「考え方」を構築すべく思考錯誤を繰り返していました。
そのときに影響を受けた一人が、京セラ創業者の稲盛和夫氏です。

氏が、書籍でよく紹介されるお話があります。
私はこの話が世の真理を上手く表現しているように思うので、スタッフにもよく紹介しています。
以下、書籍より引用させていただきます。


あるお寺で若い修行僧が老師に「あの世には地獄と極楽があるそうですが、地獄とはどんなところなのですか」と尋ねました。すると老師は次のように答えます。
「たしかにあの世には地獄もあれば、極楽もある。しかし、両者には想像しているほどの違いがあるわけではなく、外見上はまったく同じような場所だ。ただ一つ違っているのはそこにいる人たちの心なのだ」
老師が語るには、地獄と極楽には同じように大きな釜があり、そこには同じようにおいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で、長さが一メートルほどの長い箸を使うしかないのです。
地獄に住んでいる人はみな、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜につっ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。しまいには他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになって、うどんは飛び散り、だれ一人として目の前のうどんを口にすることはできない。おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。それが地獄の光景だというのです。
それに対して、極楽では、同じ条件でもまったく違う光景が繰り広げられています。誰もが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんを取ってあげます。ですから、極楽では全員がおだやかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になる

稲盛和夫『生き方』P176   


仕事でがんばれと言われると、自分が損をするような気持ちになるものです。
そのため、先の話で言えば、うどんを相手に差し出すということがなかなか出来ない。
経験がない人には、それが後で自分に返ってくるイメージが持てないのです。
特に、仕事で人に感謝される喜び、というのはそれを経験した人にしかわからない職業的快感なのですが、適当にやっている人にこの瞬間は永遠に訪れません。

私は言います。
会社があなたにうどんを取ってもらって、それを独り占めするようなことなどありえない。
投じた努力に見合ったものがきっとあなたの手に返ってくると。
そう言ったときに、彼らにできることはその言葉を信じてがんばるかどうか、です。
ここでさらに問いかけます。
いま、あなたは僕の言葉が信じるに足るものかどうかで心が揺れているかもしれないが、信じるかどうかを決める権利は、完全にあなたの手の中にある。
心が揺れているとすれば、それは自分の決断の結果に対してなのではないですか、と。
つまり、不安の正体は、僕の言葉(=会社)ではなくて、自分の決断。
人生の主体は、他人ではなくて自分。
この意味を正しく理解し、自分で決断した人は必ず伸びます。
「やらされ仕事」ではなく、「これは自分の生き方の問題だ」という当事者意識があるからです。

自分が決めたことに覚悟と責任を持って取り組めるかどうか。
仕事にせよ、勉強にせよ、師匠選びにせよ、上手くいく人はこの決断力に優れています。
未来にきっと良い結果がかえってくるという自分の決断を信じているので、ぶれずにがんばるからです。
上手くいかない人は、決めたはずのことに、いつまでも自信がなくてふらふらしている。

Vol.045 「決断経験」が人を成長させる

この「決断力」に優れた人を中心にした組織をつくるようになってから、「なぜ人はこんなにも自己中心的な生き物なのだろう?」問題で気を病むことは減りました。
プラスジムにおいても、リーダー格の先生たちは当事者意識を持って、生き生きと仕事をしてくれており、見ていて頼もしい限りです。


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