Vol.012 負けがあるから価値がある
2020年07月14日更新
負けがあるから、勝ちがある。
悲しいことがあるから、楽しいことがある。
暗闇があるから、光がある。
合格に喜ぶ生徒がいる一方で、不合格に泣く生徒がいます。
最初から合格がわかっているなら、そこに感動はありません。
先日、東大に合格した塾生についての記事を書かせていただきました。
今日は、残念ながら不合格となった、たくみ君(※仮名)のことを書いてみたいと思います。
たくみ君が塾にやってきたのは、いまから2年半前の秋。
第一印象は、非常に落ち着きのない生徒。
面談中も常にそわそわしており、そんなたくみ君を激しく叱りつけるお母様(笑)
とても美人なお母様なのですが、彼との面談中は眉間にしわが寄っています。叱られ慣れているのか本人もケロッとした様子、母の愛の言葉はまったく響いていません。
長年のサッカーで鍛えたコミュニケーション能力と愛嬌は抜群。あっという間に体験授業を担当した講師とも仲良くなり、授業をあちらこちらに脱線させて講師を困らせるようになりました。
『講師は優しい兄、塾長の私は小姑』
彼に対するスタンスが定まりました。
それ以降、たくみ君の指導に直接的に介入することはせず、口うるさく姿勢や宿題の取り組み方について指摘する立ち回りを演じることになります。
面倒な相手だと思っていたことでしょう。
話しかけられるときは大抵叱られるときですから、イヤな存在です。
自習中もチラチラと何度もこちらを見て、いつも私を警戒していました。
私だって、好きで小姑をやっているわけじゃないのですが・・(笑)
ある日の面談で、お母様がこんなことをおっしゃっていました。
「この子、成績は相変わらずなんですけど、頭の良さそうな話をするようになったんです。いつも東大生と話をしているのがとても良い刺激になっているみたいで・・・」
心の中でそれはそうだろうと思いました。
彼ほど講師達の輪の中に入り込んでいる中学生は見ることがありませんから。
相手が東大生だろうと臆せずにどんどん話かけていくのが最大の長所です。相手は東大生、知識量が中学の同級生とは比較になりません、目線が引きあがるのも自然なことです。
中学3年生の秋、吉報が届きます。
彼にとって魅力的な私立高校からサッカー推薦の声がかかったのです。大学受験勉強と大好きなサッカーを両立できる、まさに理想的な高校でした。多くの場合、私立高校のスポーツでの推薦入学というのは、特殊な入学パターンになります。当事者間で話し合いが進められることが多く、一般に開示されている合格基準とはまた違った基準で合否が決まることがほとんど。そのため、私もその高校に進学できると安心感を持ってしまいました。本人の緊張も一気に緩んでしまったように思います。
しかし後日、信じられないことが起きました。
入学を約束してくれていた私立高校が、2学期内申点の条件を後から出してきたのです。提示された内申点はそこまで高いものではありませんでしたが、彼にとっては厳しい内容。必死になって期末試験対策を行いましたが、その基準には残念ながら達することができず、スポーツ推薦の話は立ち消えてしまいました。頼みの綱であった推薦の話がなくなり、12月初旬、荒野に一人で放り出されてしまったような状況に陥ってしまいます。
そこから急ピッチで彼の受験対策が始まります。早い段階から都立高校は想定していなかったため、私立の国数英の勉強を中心に、自習を含めて毎日塾に通ってもらいました。講師も必死です。教室全体で全面的に支援し、2月10日からの私立受験に備えました。
必死の努力もむなしく、滑り止め校以外はすべて不合格。
合格した高校は悪い高校ではありませんが、勉強と部活動の両立を目標に掲げていた彼にとって通学距離が気になります。
どうしても納得のいかない本人。
厳しい道であるとは承知しながら、ひとつの選択肢を一緒に検討しました。
それは私立二次募集への挑戦。
猛勉強が始まりました。希望する私立高校の入試日は3月も過ぎてから。私立二次募集受験とは、周囲が受験を終えて浮かれた空気の中、たった一人で頑張るということです。相当な決意がなければ、途中で挫折してしまうことは目に見えています。
あれだけ勉強が嫌いだったのに、最後の最後まで一人でやり抜きました。
いままでに見たことがない集中力で授業に臨む姿に目頭が熱くなることも。
彼を小姑のように、叱っていた日々が懐かしく思い出されます。あの頃、このような状況に追い込まれることも、自分がそれだけ勉強を頑張れるということも想像していなかったことでしょう。
受験校の過去問の点数は3科で合格最低点を20点~30点上回るまでになりました。
受験当日。
受験を終えた彼から確かな手ごたえがあったとお母様に報告があったそうです。勉強苦手な子どもに共通するのは、試験点数の見込みが当たらないということ。「90点は取れた」と言って帰ってきたら、70点くらいであることが多いです。入塾当初のたくみ君はまさにそんな塾生で、答案が返却されると自分で予想した点数よりも低く、落ち込むことが多くありました。
試験点数の見込みが外れる子どもは点数が安定しません。そのため、プラスジムでは入試直前期にはここを徹底的に鍛えます。過去問をやり込んだ彼の手ごたえが期待外れということは想像しにくいです。いまの彼ができたと言ったということは本当にできたのだと、信じています。
しかし、必死の努力の前にも結果は残酷でした・・・。試験結果とはまた違ったところで最終的には合否が決まったのでしょう。どれだけ粘り強い努力のできる生徒か高校に伝わっていれば、といくら悔しがってみたところで結果がくつがえることもありません。高校が求めている合格基準を満たすことが出来なければ、不合格になるのが受験の厳しさです。
後日、結果の報告を兼ねてお母様がご挨拶にいらっしゃいました。
そのとなりには彼の2学年下の妹が・・。
別の集団塾に通っていたそうですが、今年からこの塾でお世話になりたいとおっしゃっていただけました。タイプが違うので最初はあまりたくみ君に似ているとは思いませんでしたが、横顔に面影が残っています。驚いたことに、家では彼女に勉強を教えていることもあるということ。ここで習ったことを、妹に教えてあげている姿を想像すると、心が温かくなりました。
これを書いている今、体験授業中の妹が目の前で勉強しています。
彼女の横顔に塾で頑張っていた頃のたくみ君の姿を思い出して、ふたたび目頭が熱くなりました。
最後の最後まであきらめなかった兄を見ていた彼女の受験はきっと上手くいくと思います。
受験は決して甘くないということ、受験にはそれだけ真剣に取り組む価値があるということ。
きっと彼女は誰よりもわかっているはずですから。