Vol.145 誰かのための読書
2020年03月17日更新
プラスジムの面談室の書棚にはビジネス書がたくさんおいてあります。
その書棚にあるのは200冊程度ですが、これまでの人生で読んだビジネス書を合計すれば2000冊は優に超えます。
近年は、読むのに時間のかかる専門書や古典はあまり読みません。
精読というよりは速読スタイルで、多い日だと1日に3冊くらいを一気に読んでしまいます。
読書家で知られるライフネット生命保険会社の創業者であり、現在は立命館アジア大洋大学学長を務めておられる出口治明氏は「いま売れているビジネス書を10冊読むなら、古典を1冊読むほうが役に立ちます。」ということをおっしゃっておられます。
また、「速読は百害あって一利なし」とも。
どちらも私には当てはまらない提言です。
おそらく出口氏とは読書の目的が違うからです。
ビジネス書には、新鮮なことを書いているのだけれども、時代が変わっても通ずる「普遍性」がないためにすぐに通用しなくなるHowto本や、たくさん売ることだけを目的にした商業主義的な本がたくさんあります。
著者や出版社には申し訳ないですが、正直、「外れ」と思えるような本の方が圧倒的に多いです。
私にとって「当たり」の一冊は、物事の本質を新しい切り口で説明してくれている本です。
こうした本の「表現」がとても役に立ちます。
時代の空気に合っているからベストセラーになっているわけであり(たまたまの場合を含む)、そうした書籍には、その時代の人たちに「刺さる」表現があるものです。
なるほど、こういう伝え方をすれば今の若い人に伝わるのか!
本の中でそうした箇所に出合うとそのページの端を折ります。自分の言葉で足りないなと思ったときには、著者の言葉を一言一句そのまま引用して紹介することもあります。
自分用のEvernoteというメモ機能のあるアプリの中に、そうした言葉が何千と記録してあります。
中高生向けの勉強法の本を読むこともありますし、最近は就活関連の本もよく読みます。
女性向け書籍のベストセラーも自分にはあまり関係ありませんが、よく目を通します。
生徒のお母様に何かを伝えることが多いからです。
つまり、ほとんどの読書は、自分が言葉を伝えたい「誰か」のために行っていることになります。
そんな読み方で楽しいのかと思われそうですが、私にはこれがとても楽しい。
人間関係のストレスの大半は、自分の想いを上手く伝えることのできないフラストレーションなのではないでしょうか。
例えば、子どもが勉強して欲しいと思っているのに、本人は遊んでばっかり・・のように。
言葉は相手のためのものです。
「受け手」の心に届く言葉の表現でなければ、伝えても行動が変わらないどころか、共感すら得られません。
居酒屋で自分語りをして若者を閉口させてしまうおじさんがいるように(笑)、自分が伝えたいことを誰かに話すのは、本来はとても楽しいことです。
もちろん、私にとってもそれは例外ではありません。
ただ、そうしたおじさんと少し異なるところがあるとすれば、私は伝えるプロだという点です。
自分が話す内容に価値がないと思われたら仕事にならないわけです。
そのため、「どう言えば人に伝わるのか」という問題意識が常に頭の中にあります。
想いが人に伝わって共感を得られたときの喜びというのは、形容しがたい感動があるものです。
「お母さんの言う通りだった、勉強って大事だね!」と子どもが言ったら嬉しいですよね?
大切な誰かに想いを伝えるためにも、相手の使う言葉や好む表現を仕入れることをぜひ実践してみてください。