Vol.150 共感能力
2020年04月21日更新
安倍首相が星野源さんの「うちで踊ろう」の動画企画に便乗し、大炎上しました。
「布マスク2枚配布」もアベノマスクと嘲笑され、見ていて気の毒になるほどです。
ここ最近の首相の対応で、致命的に欠けていると私が感じるのが共感能力です。特に、飲食業に従事されている方々など、今回の件で生活に深刻な影響が出てしまうことが避けられない方々に対する共感能力があまり機能していないように感じています。
経済対策も話していることも、どこかのんびりとした印象を受けてしまい、切迫感がありません。
自営業者や小規模な事業を営まれている方とたくさん対話すれば伝わるのかもしれませんが、今はそうしたことをされるお暇もないのでしょう。
「想像力の欠如」と言ってしまうことは容易いですが、総理大臣ともなれば様々な立場の人に配慮して仕事をする必要がありますから、それを言い出すときりがありません。
ここで述べたいのは、怒らせてしまっている多数の方々の心情に対する首相の共感能力が上手く機能していなかったのではないかということだけです。
前回のブログでも書いたように、人間には「ポジティブシンキング」という武器があります。
ところが「ポジティブシンキング」はすべての場面では使うことができません。
例えば、大切な家族を亡くされた方に、「これも人生勉強だ」なんてとても言えないですよね。
「ポジティブシンキング」だけではダメなのです。
そこで登場するのが、共感能力。
人類は他の動物に比べると、高度な知能や感情を持つ生き物です(おそらく)。
そのため、「精神的な領域の死」という脅威に常にさらされてきたとも言えます。
我々は、あまりにもショッキングな出来事が起きると生きる気力を失ってしまう生き物ですから。
そうした脅威への対応策として、人類が進化の過程で習得した対抗策が共感能力なのだと私は考えています。例えば、誰かの死を悼む葬儀は旧石器時代から様々な土地で存在していたことが知られています。こうした葬儀を行う本当の目的は、死者のためなのではなく、誰かと深い悲しみを共有することによって近親者の精神的な痛みを和らげることなのだと思います。
共感能力は、どうにもならない出来事に対して、人類が持ちうる唯一にして最後の防御手段であると言えるでしょう。
共感能力は、他にも色々な場面で使えます。
使えるというよりも、それがないと時には相手をとてもいら立たせてしまいます。
気持ちがわかってもらえないというのは、当事者には苦痛なのです。
共感能力は日常の不満を解消するために使うこともできます。
首相に困っている方々に対しての共感能力があれば、そうした方の怒りを鎮めることもできたかもしれませんし、不安を解消し、安心してもらうこともできたでしょう。
適切な使い方ができれば、共感能力は心的な問題に対して万能薬のように機能します。
他者との繋がりをあまり大事にされない方がいます。
それはそれで一つの生き方、価値観なのだとは思いますが、その生き方にはリスクがあります。
精神的な領域で負った傷の治療薬となる「共感能力」は一人では発動できないからです。
将来、子どもたちにどんな大人になってもらいたいかという思いの一つに、豊かな人間関係を持った大人になってもらいたいというものがあります。
その人間関係に自分が救われる可能性があるからです。
一方で、孤独が人を育てるという側面があるのもまた事実です。
特に若い時期、人生で孤独を経験しておくことに価値はあります。
だからいま、まわりに信頼関係を築けそうな人がどうしても見つからないのであればそれはそれで仕方ない。
ただ、人生のどこかのステージでは、少し勇気を出して一歩踏み込んだ人間関係を築き上げてもらえるといいなと願っています。