Vol.177 下手の考え休むに似たり

Vol.177 下手の考え休むに似たり



2020年10月27日投稿
2020年10月27日更新



「下手の考え休むに似たり」という言葉があります。
囲碁や将棋で、下手なものの長考は時間の無駄であるという意味から生まれた言葉です。
長考は仕事や勉強で成果を出せない人に良く見られる傾向の一つです。
深く考えること自体が悪いわけではないのです。
しかし、「ある前提」が抜けてしまうと、考える時間は成果につながらない無駄な時間、休んでいるのと何も変わらない時間になってしまいます。
その「ある前提」とは「情報」のことです。
わかりやすい例で言うと、仮に以下のような方程式の文章問題があったとします。

りんごを4個とみかんを1個買ったところ、代金の合計が1300円になった。
りんご1個の値段はいくらか?

この問題、深く考えて「答え」を出せるでしょうか?
もちろん、いくら深く考えても「答え」は出ません。
なぜなら、問題を解くのに必要充分な情報がそろっていないからです。
ここに「みかん1個の値段は300円である」という情報が追加されて初めて、りんご1個250円という「答え」にたどり着くことができます。

おおざっぱに言えば、学ぶことで知る情報→知識、自分が体験することで得る情報→経験、です。これらがない状態で長考したところで、期待するような成果は出ません。
考えるよりも先に行うべきことは、「知識を持つこと」や「経験を積むこと」なのです。
それがあって初めて、考えることは有意義な時間となります。
大学生に、会社でなぜ出世した方が良いのか的なアドバイスをするときにも、同様の理由で説明をします。一般的に、重大な情報は上層部がかたまって持っていることが多く、それを知らない状態でいくら考えたところで、質の高い「答え」を出すことはなかなかできないからです。
良質な情報をもとに考えるから良質なアウトプットは出せるのであって、不十分な情報、あるいは第三者の主観で歪んだ情報をもとに考えても、粗悪なアウトプットしか出せません。
せっかくの「考える力」も無駄になってしまうのです。

しかし、実は、ここまでは一定レベルの考える力を持っている人に限定した話。
小中学生に関して言えば、「情報」以前の問題です。
先の文章題で、すべての「情報」を知っていても、「答え」を出せない場合があるということです。
そうなるのは、考えるための道具(方法論)を知らないか、使いこなせていないから。
料理に例えれば、素材(情報)はあって調理技術を知らない状態。
調理技術のない人が、新鮮なまぐろを目の前にして独創的な料理を必死に考えたところで、何一つとして良いことは起きないでしょう。
思い切って手を動かしてみれば、なにか発見できることはあるかもしれません。
しかし、最善は誰かから事前に基本的な調理技術を学んで、練習しておくことです。
義務教育とはそういう期間です。
自分が「考える」勉強ではなく、先人が開発した「考えるための道具」を知り、それを使いこなせるようになるための「手を動かす」勉強に優先して時間を使うようにすべきです。


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