Vol.189 精神論

Vol.189 精神論



2021年01月19日投稿
2024年08月27日更新



最近、説明会でよくお話させていただくのは、受験は「精神論」だけでは戦えないということです。
「現実的に考えて、どう勝つのか」を考えることの重要性を強くお伝えしています。
日本人は気質として「精神論」に偏りすぎる傾向があるように思います。
戦時下において、あれだけの国力を持つアメリカに対して気合いと根性と竹槍で勝負を挑もうとしたDNAをしっかりと受け継いでいるのです。

あらゆる勝負事は、現有戦力をベースに作戦を組み立てるところから始まります。
この点において、戦争も受験勉強も変わるところがありません。
戦争の場合、どれだけの戦闘機や爆薬や兵士などを確保できているかが現有戦力です。
兵士に気合いと根性を叩き込めば、わずかに戦力は増すかもしれません。こうした考え方をここでは「精神論」と定義します。
現有戦力を受験勉強に当てはめて考えてみると、基礎知能、過去の学習内容の蓄積、集中力の持続時間、学問への興味関心の高さ、親の協力姿勢、などが該当します。
戦争の場合と同じく、生徒に気合いと根性を叩き込めば、多少の戦力増強は期待できるでしょう。
しかし、それだけで受験を成功させることは出来ないのは、戦争の場合とまったく同じです。
「精神論」は、あくまでも補完的に使うべきものであり、最初から最後までそれに頼った作戦を組み立てるのは破滅にいたる道です。過去の歴史がそれを証明しています。
それにも関わらず、生徒たちの反省は「精神論」に終始することがとても多いのです。
典型的な反省の言葉は「次のテストは、もっとがんばる」。
そもそもの「がんばる力」が足りなかったことが問題なのですが、気持ちの問題で話を済ませてしまっており、次のテストも気持ちだけで何とかしようとします。
これでは点数が伸びるはずがありません。

「精神論」しか頭にない親や教師は、現有戦力を気合いと根性で増やすことによって受験という戦いに勝つことを子どもに期待します。持たせる武器は竹槍一本(笑)
わかりやすい傾向は、「もっとがんばりなさい!」とか、「根性で乗り越えろ!」とか、「気合いが大事!」とか、そうした言葉が多いという点。
「精神論」が悪いわけではありません。
受験勉強というのは個人単位で行う活動ですから、戦争に比較すると「精神論」が結果に与える影響は大きなものになります。
それだけであったり、使いどころを間違えてしまうことが問題なのです。

「精神論」を活用すべき場面は2つあります。
1つ目、「精神論」の最初の使いどころは目的地を構想する場面です。
現実問題として、実力相応校だからと言って、まったく入学したいとも思わない学校に志望校を設定して、「勉強をがんばろう!」という気持ちが沸き起こるでしょうか。
ですから、ここには気持ちを入れてしまって構いません。
人間、行動を開始するためには「熱い想い」が必要です。
2つ目の使いどころは、いざ実行という場面です。
入試当日に、先生たちの熱いメッセージを書いた手紙を渡したりする塾も多いと思いますが、そうした言葉に励まされる受験生も多いことでしょう。
当日のコンディション(精神状態)が、受験の結果に与える影響は決して小さくないわけですから、気持ちの問題とは言え、決して無視することはできないです。
逆に、「現実的な成績向上策」ということに関して、入試当日に出来ることはほとんどありません。

京セラ創業者の稲盛和夫氏の言葉に、

「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」

というものがあります。
これとまったく同じだと考えていて、構想と実行は「精神論」が入って構わないと思います。
しかし、計画で大事なことはデータや事実から「本当にそれは自分に可能なのか?」と何度も問い直す姿勢です。自分の部屋で1日2時間の勉強を1週間続けたことのない生徒が、気合いと根性で1日5時間がんばる計画を立てたところで、3日と続かないのは誰の目にも明らかでしょう。
普通に考えれば当たり前のことが、「精神論」が入ってしまうとわからなくなるのです。
もっと言うと、現実的に計画を立てるという緻密な作業が面倒なため、「がんばって何とかする」という「精神論」に逃げているとも言えます。

「精神論」と「現実的な成績向上策」を1人で両立するのは大変です。
本人に足りない側面を、まわりの成長支援者が補ってあげられると理想的でしょう。


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