Vol.194 GIFT
2021年02月23日更新
思春期までなら、親も教師も子どもを導くべき目的地は同じです。
それは本人の「自立」です。
生きていくために必要なすべてのことを本人が主体となって出来るようにさせることです。
教育論、子育て論は世の中にいくらでも存在しますが、ここに例外はないと考えています。
本人の成長に合わせて、親や教師の役割は次第になくなっていきます。
不思議な縁が重なりに重なって、塾生たちはこの学習塾へやってきます。
お互いに、もしどこかで一つでも人生のかけ違いがあれば、なかった出会いです。
与えているのは教師のように見えるのですが、そうではありません。
愛情をかけて育てた生徒はたくさんの幸せを教師に与えてくれます。
それは、成績が伸びて喜んでいる姿であったり、「先生、ありがとう」の感謝の言葉であったり・・。
教師と生徒は、このようにして限られた時間をお互いに与え合いながら一緒に過ごします。
そうした生徒たちと離れるのはさみしいものです。
教師に多少の心の痛みを残し、生徒たちはまた次のステージへ旅立っていきます。
「自立」を目的として相手と接しているのは親も同じです。
しかし、その結びつきの深さは親子間と教師生徒間ではまったくの別次元。
生徒たちはときには親の悪口を言ったりもしますが、心の奥底で親に対して抱いている想いは言葉で表現ができないほどに複雑で大きなものです。そこは私たちがどれだけ深く生徒と信頼関係を築いても、決して立ち入ることのできない神聖な領域であり、教師が親以上の存在になることはどこまでいってもありえません。
子どもにとって、親子間の愛着に勝る人間関係はないのです。
しかし、その関係性は、子どもが精神的な「自立」を果たすことによって変化します。
それは喜びであると同時に、親にとって大きな心の痛みとなる場合もあるかもしれません。
自分の役割がなくなるようなさみしさを伴うこともあります、大きな不安を伴うこともあります。
しかし、これはすべての親が胸の内に秘めておかなければならない「覚悟」だと思います。
高校受験期の子育ては苦労が絶えることがありません。
眠れないくらい不安にさせられた、たくさんの不満をぶちまけられた、毎日のように衝突した・・。
ご両親にとっては本当に大変な1年間だったのではないでしょうか。
本人もがんばったかもしれませんが、それを支えるご両親にもたくさんの忍耐があったはずです。
受験を終えようとしている今、挑戦の舞台裏でどれだけ親に支えられていたかを実感できている子もいれば、そのことにまだまだ無自覚な子もいることでしょう。
その違いが大人と子どもの分岐点です。
ただ、どこかのタイミングでは必ずそのことに本人も気づきます。
いつか来ることになる、その「自立」の日。
親として一つの役割を終えたさみしさも覚えるかもしれません。
けれどもそこには、言葉では表現できない大きな喜びが間違いなくあります。
親が愛する子どもに願うのは、本人がこれからの人生を幸せに生きてくれること。
極言すれば、それだけだからです。