Vol.211 正義と実利
2021年06月29日更新
プラスジムの久我山第1教室は1階入口のドアを開けると小さな鈴の音が鳴ります。
ドアを開けたらすぐに階段になっており、2階が教室という設計になっています。
先日、説明会準備のために教室で仕事をしていると、階下で鈴の音がしました。
「誰だろう?」と思って確認に行くと、塾生(高校受験生)が階段を上がってきました。
私 「どうしたの?自習?」
塾生 無言でうなずく
私 「今日、自習は第3教室でやっているよ。そっちに行ってごらん。」
塾生 何も言わずに振り向いて立ち去る
スタスタと階段を下り、去っていこうとする塾生。
もちろん、そのまま帰すわけがありません(笑)
呼び止めて、あいさつのことや立ち去るときに何を言うべきだったのかを一緒に確認しました。
・・・
正直、面倒だと思いますし、あからさまに嫌そうな顔をしていました。
人としてそうすることが正しいから、「あいさつしなさい」と教えているわけではありません。
教育者ですから、人として何が正しいのかという自分なりの哲学は持っていますが、誰かに自分の正義を強要するつもりはないです。
とは言え、「あなたはあなたの考えでやりなさい」では指導者としてここにいる意味もありません。
人に何かを指導する際には、自分が正しいと信じている行動であることに加え、AかBのどちらかの条件を満たしているかを必ず考えています。
A:そうした方が良い理由を実利的な観点から論理的に説明できる
B:その行動を正さなければ、他の誰かの利益が損なわれる
条件を片方でも満たしているのであれば、遠慮なく指導を行います。
理由を丁寧に説明することもありますし、シンプルに行動だけを求めることもあります。
さて、冒頭の塾生のケースにおける実利とはなんでしょうか。
そんなに難しい話でも、遠い未来の話でもありません。
高校受験に「あいさつ」は関係ないと思っているのだとすると、それが大きな間違いなのです。
高校受験生であれば、夏以降、いくつかの私立高校の個別相談会に顔を出すことになるでしょう。
私立高校は相談会などで、有望な生徒がいれば入試前からその生徒に合格を出すことを決めていることは少なくありません。その逆もまた然りです。
そこで高校の先生の心証が悪いと、受験で不利になる可能性は充分にありえるのです。