Vol.236 勉強してやってる感

Vol.236 勉強してやってる感



2021年12月21日投稿
2021年12月21日更新



「勉強してやってる感」
完全なる私の造語ですが、学習塾で働く人であればこの言葉にピンとくるものがきっとあるはず。
高校生だとあまり見ませんが、中学生ではたまに見かけます。
自分のための勉強なのに、「どうだ、俺は勉強しているぞ」と言わんばかりに態度が偉そうなのです、特に母親に対して。
「勉強してやってる感」を出すようになってしまったら、親は関わり方を見直す必要があります。
そもそも誰のための勉強なのか、という肝心な点を本人が勘違いしているからです。
勉強は親が子どもにお願いしてやってもらうようなものではありません。
学校はともかく、塾や通信教材などはすべて、子どもが親に「させていただいている」ものです。
本来抱くべき感情は経済的に支援してくれる親に対する感謝の気持ち、です。

「支えられている自分」を自覚することが、「自立」のファーストステップです。
助けてもらえることが当たり前と思っている人は、大人にも多いです。
他人は親ではないのですが、「あれをやってくれない、これもやってくれない」と不平不満ばかりを口にし、自分でその状況を何とかしようとはしません。会社においては、大したことは何もしていないのに「仕事してやってる感」全開で、他人の努力にタダ乗りしようとする人もいます。
そうした人間のタチが悪いのは、そういう自分であることに無自覚であることです。
本人の人生を過去にさかのぼれば、これは親の関わり方に問題があると私は考えています。
食事や送り迎えなど、親が色々とやってあげること自体に問題があるわけではありません。
問題なのは、「そうしてもらって当然」と思う意識の方なのです。
親が代わりに行うことができないこともあります。
それが勉強。
だから、「お願い」になってしまうわけです。
「お願いだから勉強して」と言ったことがなくとも、子どもに「勉強してやってる感」が見られるのであれば、足元を見られている可能性はあります。
なぜそうなってしまうのか。
たとえば、次のようなことがきっかけになります。
「誰のための勉強だと思ってるの!そんなんなら辞めなさい!」と塾や習い事を強引に辞めさせたものの、これ幸いと子どもはまったく勉強しなくなり成績は急降下。そのうち親の方が我慢の限界を迎え、再び子どもを塾に入れようと働きかけることに・・・
直接的に「お願い」はしていないものの、子どもからするとこれは「お願い」と同じなのです。
これを繰り返すと、子どもは次第に「勉強してやってる感」全開になってきます。
平たく言えば、調子に乗り始めるのです。
この場合の正解は、親が子どもに塾を強制するようなことはしない、もちろん「お願い」もしない
子どもとの我慢比べに負けてはダメです。

我慢とは子どもを放置することとは違います。
学校の勉強から取り残された先に何が待っているのか、子どもは本当の意味ではわかっていませんから、勉強せずに将来どうするつもりなのかを積極的に聴(※)いてください。
このときに絶対に守っていただきたい事があります。
それは、自分が聞きたいタイミングで聞かないことです。
最悪のタイミングは親の自分が子どもの将来に対して不安が高まっているとき、です。
そうすると親の「こうしてもらいたい」という願望ありきで話が進みますから、子どもからすると対話というよりは説得(あるいは懇願)になります。
そうではなく、子どもが話したいタイミングで将来のことを聴くようにするのです。
これはじっと待ってあげてください。
自分にはどうしても話してくれないなら、祖父や祖母、伯父や叔母も有力な候補になりえます。
本人が尊敬している大人が身近にいるなら、その人との対話に勝る機会はありません。
素直に考えると、「人生、なんだかんだ言って勉強した方が得だ」となるケースが大半です。
本人がそのことに気付いてから、「塾に通いたいなら応援するよ、そのかわりきちんと通えないのなら辞めてもらうからね。」と言ってあげるようにしてください。

※記事内で「聴」と「聞」の漢字を使い分けており、誤字ではありません


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