Vol.243 現実は優しい
2022年02月08日更新
「現実は厳しいぞ」と子どもに諭す大人に、幸せな大人はあまりいないのではないか。
そして、この言葉を刷り込まれた子どもの人生もまた過酷なものになるのではないか。
最近、そんなことをよく思います。
ひとつには、その人が世界をみるフィルターの問題があります。
赤色レンズのメガネをかけると世界はすべて赤色に見えますが、同じように「現実は厳しい」という色メガネで世界をみれば、たしかに自分たちを取り巻く現実は過酷で厳しいものになります。
これは解釈(主観)の問題です。
しかし、私がここで問題にしたいのはあくまでも実際的な話です。
このように口にする大人の現実は、事実としてみても厳しい例が多いのではないかと思うのです。そのように刷り込まれて生きる子どもの将来の人生もまた同様です。
「現実は厳しい」という認識が、呪いのようにして、本当に厳しい人生を生み出してしまう。
私が言いたいのはそういうことです。
塾の先生ですから、あまりスピリチュアルな話はしたくありません。
あくまでも論理的に、なぜそういう結果を生むのかを考察していきます。
大変ごとが、自分のところにやってくるかどうかは確率の問題です。
事故や病気になる可能性は誰にでもありますし、そこに例外はありません。
しかし、こうした出来事ですら、ある程度までは出現確率をコントロールすることができます。
何が予防策になるかと言うと「余裕」です。
大人になったときに生活に「余裕」を生み出せるかどうかは、その人の「(選択可能な良質な)機会の数」と「能力の高さ」に依存します。
仕事がわかりやすい例ですが、転職先の候補がたくさんある人は労働時間や働く場所、付き合う相手を自由に選ぶことができ、必要に応じて「余裕」をいつでも作り出すことができます。
では、どのようにすれば「機会」や「能力」を手にすることができるか。
これは間違いなく、挑戦によって、なんですね。
難関校を受験する、リーダーに立候補する、気になるあの人に話しかけてみる、、
大きなものから小さなものまで、人生は挑戦する場面に満ちあふれています。
では、「現実は厳しい」と考えている子にとって、挑戦とはポジティブなものでしょうか、ネガティブなものでしょうか。
おそらくはネガティブなものでしょう。
不合格になるかもしれない(現実は厳しいから)。
リーダーの役割を上手くこなせず人に迷惑をかけるかもしれない(現実は厳しいから)。
気になるあの人は振り向いてもくれないかもしれない(現実は厳しいから)。
結果としてどうなるかというと、挑戦の試行回数が減ってしまうのです。
「現実は厳しい」思考は、思い切って何かに挑戦した場合にも自分の邪魔をし続けます。
「うまくいく」という確信が持てないため、取り組みが雑で中途半端になるのです。
あるいは、決めたはずのことを何度も蒸し返すため、物事が一向に前に進みません。
結果的に(その挑戦を通じた)能力があまり伸びない。
いざ困難な状況になってしまった場合の考え方にも、違いがあります。
「現実は厳しい」と認識している人にとって、その状況は自分の知る世界そのものの姿です。
人生そういうものだと思っているので、その状況を不幸としてそのまま受け入れることになります。
幸せに生きている人はそういう風には考えません。
その困難は、その先に待つポジティブな結果への通過点に過ぎない、と考えます。
だから、大変な時期にあっても、止まらずに動き続けることが出来るのです。
そして結果的に現実も良い方向へと変えてしまう。
これから受験を迎える人たちに大人である僕が言いたいのは、現実は基本的にあなたたちの味方であるということ。
もちろん、世の中には残酷な出来事だってあります。
でも、少なくともそれは受験で不合格になることで起きるようなことではない。
挑戦の結果の先に待つ未来は間違いなく明るいのです。