Vol.247 等価交換
2022年03月08日更新
「価値交換」は、原則的に「等価交換」で成立します。
例えば、市場価格が100円のペットボトルの水を1万円で買う人はいませんし、逆に100円の支払いに対して100本のペットボトルをくれるお店もありません。
これが不均衡だと、損をしている側に不満が生まれます。
何を当たり前のことを!という感じなのですが、ここからが本題です。
仕事も「価値交換」ですから、同じことが言えます。
学校や塾の授業での、教師と生徒の関係は以下のようになります。
<教師>
やってもらったこと:授業料(お給料)をもらった
やってあげたこと:勉強を教えた
<生徒>
やってもらったこと:勉強を教えてもらった
やってあげたこと:(親が)授業料を支払った
基本的に授業料は同じですから、どの生徒にも同じだけの価値を得る機会があります。
しかし、事実としてみれば教師からものすごくたくさんの価値を受け取る生徒もいれば、きっちり授業料分の価値しか受け取ることのできない生徒もいます。
その違いはなにか。
ここで「等価交換」の原則を思い出してください。
教師から多くの価値を受け取っている生徒は、なんらかの価値を教師に提供しているのです。
生徒ですから、本人が差し出しているのは「金銭」ではありません。
では、それはいったい何なのでしょうか。
答えを先に言ってしまうと、教師の「自信(自尊心)」を満たすことです。
教師にかわいがられる生徒はこれが上手い。
具体的には、すぐに質問や相談に来る(教師を頼る)、解けるようになったときに嬉しそうな表情をみせる、難しいことが出来る教師に対して素直に驚く、感謝の言葉を忘れない、などです。
不公平に思えるかもしれませんが、かわいがられている生徒は生徒なりに教師に対してきちんと価値提供をしているのです。
相手の「自信(自尊心)」を満たすことは価値となるのか?
ものすごく大きな価値になりえます。
高級腕時計、高価な化粧品、豪邸、宝飾品、接待を伴う飲食・・
こうしたモノやサービスは、人の「自信(自尊心)」とお金を交換しているようなものです。
ボランティア活動をしている人は幸福感が高い、といったデータもあるようですが、これも同じ理由でしょう。
他人から認められたい、感謝されたい、というのは、大半の人間が持つ根源的な欲求です。
それを満たしてくれる相手を、大切にしたいと思うのも人として当然の感情。
かわいがられ下手を自覚する人は、せめて御礼を言うことくらいは徹底しましょう。
親は子どもにそう教えるべきだと思います。
教師の「プロ意識」として最も大事なことの一つは「生徒に対する公正さ」だと考えており、そうしたことで指導に偏りが生じないように目を光らせてはいます。
かわいがられ上手な生徒もそうでない生徒も分け隔てなく接するべき、という考えです。
しかし、世の中に出れば、どこにでも同じような配慮があるわけではないです。
社会人になるとよくわかることですが、良質な機会の大半は他人が運んできます。
結局、できている人が得をするというだけの話なので、頭の片隅には入れておくと良いでしょう。