Vol.181 課題認識に課題あり
2020年11月24日更新
課題を正しく認識することが、あらゆる問題解決の出発点となります。
図にすると、以下のようになります。
思うように点数の取れない生徒は、出発点である課題認識からズレていることが大半です。
例えるなら、肝臓が悪いのに、本人は胃腸に問題があると思っているようなもの。
出発点(=課題認識)がズレていると、当然のことながら、解決策も的外れです。
肝臓の病気を治すために胃薬を飲み始めることになります。
それでも、毎日決まった時間に定められた量の胃薬を飲んでくれていれば、まだいいのです。
どこかのタイミングで「この薬はまったく効いていない」という振り返りができるからです。
ところが伸び悩んでいる生徒は、多くの場合、自己管理能力にも同時に課題を抱えているため、胃薬も飲んだり飲まなかったり量を間違えていたりと、取り組み方がとても雑で中途半端。
そのため、試験後の反省は「ちゃんとお薬を飲まなかったから悪かった(やることをやらなかったからダメだった)。次はきちんと飲みます(きちんとやります)。」というものになります。
課題認識から間違えていたという振り返りには至りません。
例えば、今回の期末試験では次のようなことがありました。
中学2年の生徒で科目は数学、期末試験の目標点は70点です。
試験範囲は「一次関数(基本、応用)」「合同(基本)」。
試験前の生徒の課題認識の度合いを割合で示したものが以下の図となります。
この生徒に対する、講師側の課題認識は以下のようなものです。
講師側はあえて足して110%にしてあるのですが、要するに「一次関数の応用」に関しては「ここまで手を伸ばすことが出来ればラッキー(おそらく到達はムリ)」と考えています。テストまでの期間と本人の状況を総合的に考えたときに、このように意識配分をして勉強を進めていけば、少なくとも前回試験よりも大きく点数を伸ばし、目標達成は可能であるという判断でした。
両者の課題認識にかなりの違いがあることがおわかりいただけるでしょうか?
本人はとにかく一次関数の応用問題(動点や複雑なグラフ)が解けないことが気になっており、その勉強をしたいと考えています。
塾側からの積極的な介入がなければ、間違いなく応用問題の勉強ばかりを行うはずです。
その場合に想定される期末試験の点数は40点。
放置しておくことはできません。
しかし、認識の溝が埋まらないままに、解決策だけを塾が与えると形式的な勉強になります。
勉強しているにも関わらず成果が出ない場合に起きてしまう現象です。
自分でそれが課題だと思うから、人は本気でがんばることができます。
あるいは、「信じている人の言うことだから、それを課題だと自分でも思う」でも構いません。
素直な生徒の成績が伸びやすいのはこれが理由。
やっていることに半信半疑だと、勉強をしても点数を伸ばすのは難しいのです。
こうした生徒の成績を伸ばすには時間がかかります。
負けず嫌い意識、失敗したくない気持ち、臆病な性格、目標に対する執着心のなさ・・・
生徒は様々な原因によって、自分の考えや行動に執着するようになります。
上手くいかなければいかないほどに。
考えや行動をあらためる必要があればあるほどに。
素直な生徒は伸びやすいと書きましたが、実際は素直な生徒の方がはるかに少ないです。
成功体験を創出したり、信頼関係を構築したり、何度も何度も試験の反省会を行ったり・・
一人ひとりに丁寧に時間をかけて向き合うことでしか、解決のできない問題です。
『孫子』には、「彼を知り己を知れば百戦あやうからず(知彼知己 百戰不殆)」という有名な一節がありますが、「己を知る」とは、課題認識のことです。
この古い言葉がこれだけ長く伝えられているのは、それがそのくらい難しいことだからです。
「学び」の一つのゴールであると言っていいでしょう。