Vol.244 感化
2022年02月15日更新
教育とは難しいものです。
本人の性格や能力だけでなく、育ってきた環境も生徒によってまったく異なります。
人生でどんな経験を積んできたかも全然違う。
すべての生徒に共通する「方針」など、あまりないように思えますが、それでもいくつかのことに関しては、「あった方が良い」と断言できそうなこともあります。
その一つが尊敬できる大人との出会い。
人は「感化」される生き物です。
「感化」の意味を調べると、「ものの考え方や生き方などを、強制したりすることなく、自然に相手に共感させて影響を与えること 『精選版 日本国語大辞典』」とあります。
何かの手順を学ぶことは誰からでもできますが、物事の判断基準となる考え方や生き方の姿勢を学ぶとなると、話はまったく変わってきます。
相手を選ぶことになります。
誰でも良いわけではないのです。
そして、そのような本質的な変化でなければ、他人からの「学び」に大した価値もありません。
過ぎ去っていくステージを、器用にやり過ごす手順だけを学ぶことにどんな意味があるのでしょうか。
次のステージでまた同じことを繰り返すだけの人生になることは目に見えています。
では、どんなときに人は「感化」されるのかというと、共感、つまり感情が動いたときです。
同世代の友人関係はたしかに大切です。
友人との会話によって、たくさん笑ったり泣いたり、感情が動く経験をたくさん積めることでしょう。
しかし、友人との会話だけでは不十分です。
中学生高校生同士でどれだけ会話したところで、大学生活やその先に待つ社会人生活のことについて、推測以上の話は出てきません。
感情が乗った話というのは当事者にしかできないのです。
大学生がどんな出来事に喜びを感じ、あるいは悩んだり迷ったりしながら生活をしているのか。
社会人がどんな使命感を持って、自分の仕事に取り組んでいるのか。
尊敬する大人の言葉の後ろにある感情から、子どもは「感化」されます。
そこで受ける影響は、そこから先のステージをより良く生き抜くための指針となるのです。