Vol.152 嫌々遅々
2020年05月05日更新
「嫌々遅々」というのは私の造語です。
嫌々やっている物事は遅々として進まないため、そういう状況を表すときに使います。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、やはり楽しんでやっている方が物事は上達しやすいものですし、生産性も高くなります。
勉強にせよ、仕事にせよ、嫌々取り組んでいることはどうも生産性が低い。
つまり、この「嫌々」の正体がわかれば、もっと成果を出すことができるわけです。
思春期の子どもの勉強の「嫌々」を生み出している最大の原因が親による「管理」です。
つまり、「嫌々遅々」の正体はやらされ感。
人間、自分からやっていることは楽しいですが、やらされていることは楽しくありません。
この理屈に従えば、学習塾も生徒に勉強を「管理」すべきではないということになります。
もしそれが可能なのであればそうあるべきです。
しかし、現実的なことを言えば、勉強の「管理」のない学習塾に通わせたところで勉強嫌いの生徒の成績などまったく伸びないでしょう。
むしろ、成績を伸ばしている学習塾であるほどに生徒の「管理」が徹底されているはずです。
そしてこれが肝心な点なのですが、そうした学習塾の生徒たちが「嫌々遅々」として勉強しているかというと実はこれが意外とそうでもないのです。
そうした生徒の勉強には「主体性」がたしかに存在するのです。
それがなにかと言えば、「塾に通うことを自分が決めた」という「主体性」です。
ただし、この「主体性」を機能させるためには、一人でがんばることの大変さや難しさを本人が理解している必要があります。
実際、中学生であれば、勉強好きか、かなり意志力の強い生徒でなければ独学は厳しいです。
そのどちらにも当てはまらないのであれば「一人で勉強できない」は普通のことなのです。
高校生でも独学でがんばれる生徒は少数。
意志力の弱い生徒が学習塾に「管理」してもらうのは何も悪いことではありません。
むしろ、自ら進んで「管理」してもらった方が勉強ははるかに上手くいくことでしょう。
勉強の本質は「将来のための行動」ですから、大抵の生徒にとっては目の前のことの方が楽しいに決まっています。
将来の自分が大切だと思うことは、今の自分にはわからないからです。
勉強がどれだけ大切かを力説したところで、子どもは勉強するようにはなりません。
ですから、勉強の大切さに関しては、「なんとなく」気づいていればそれで充分。
自分の「弱さ」を自覚させ、適切な「管理」で導いてあげるのが正解です。
大事な点なので繰り返しますが、その「管理」を本人が納得していることが大前提。
親であろうと塾であろうと、本人の主体性不在の「管理」は「嫌々遅々」を生み出してしまいます。