Vol.162 やってもらう力

Vol.162 やってもらう力



2020年07月14日投稿
2020年07月14日更新



「やってあげる力」が高くても、「やってもらう力」が低いと大きな仕事はできません。
組織やチームを動かすとき、人を動かすことができないからです。
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑には、とても有名な言葉が刻まれています。

「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」

このように自分よりも優秀な人になにかを「やってもらう」となると、さらに難しい。
ほとんどの人はプライドが邪魔をして、自分よりも優秀な人を動かすことができません。
そもそも、自分よりも優れている人に働いてもらうためには、相手がその分野で自分よりも優れていると認めている必要があるのです。
よくあるのが、「俺のやり方をみよ!」とばかりに後輩に実力をひけらかしてしまうパターン。あるいは尊敬されるポジションを他人にゆずれない人です。「自分の方がすごい」と思ってもらいたいわけです。経験年数があると、そう思わせる老獪な技術にだけは長けていたりするんです。
教える仕事に関して言うと、私はこれをやりません。
残念ながら、私よりもプラスジムのエース講師である宮武の方が授業は上手いですし、生徒もそう思っています。それを素直に認めるのは勇気がいるものなのです。
そのようにして相手の優秀さを認めるためにあと一つ、絶対的に必要な条件があります。
価値基準のモノサシが固定化されていないこと。
これについては後述します。

さて、この「やってもらう力」ですが、生徒が先生の本気を引き出せるかどうかも同じです。
先生の本気を引き出すのが下手な生徒というのは、根本的な姿勢として、その先生の優秀さを素直に認められていないか気づけていない場合がほとんどです。
なぜ、そうなってしまうかというと、自分のモノサシだけで相手を測っているからです。
例えば、「ダンスが上手い」とか「サッカーが上手い」とか、中学生なら中学生なりの、高校生なら高校生なりの、それぞれ自分なりの(自分勝手な)イケてる基準があるわけです。
それを満たしていない相手を軽んじて扱ってしまうのです。
これが価値基準のモノサシが固定化されている、ということの意味です。
なにかに夢中になるのは良いことですが、それが一つだと、価値基準のモノサシの固定化という意味でバランス感覚を欠いた大人になってしまう危険性もあります。
中学生や高校生でも、せめて3人くらいは、それぞれ別分野で(親以外の)心から尊敬できる大人がいることが理想です。

Vol.095 尊敬できる大人の存在

相手がその分野では自分よりも優れていることを素直に認め、そのことによって相手に対する尊敬の念を自然な感情として抱けること。
人の上に立つにしても、これから何かを学ぶにしても、それがある人は間違いなく伸びます。


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